8.04.2009

片想いが教えてくれること。

恋愛は、たくさんのことを教えてくれる。
人に傷付き傷付かれることの残酷さ、自分の器の深さ、
苦しさ、優しさ、愛おしさ、誰かのためになりたいと願う心。
人間として、幾周りも成長させてくれる。

全員が、片想い。
それが、漫画ハチクロこと『ハチミツとクローバー』。
美大を舞台に、登場人物のほぼ全員が片想いという青春のひとコマ物語。
漫画を読みながら、本気で号泣させられること、しばしばだ。

子供みたいだけど天才的な絵画能力をもち芯の強いハグ。
キャンバスに一心不乱に向き合うハグを一目見て
恋に落ちたお人好しの竹本クン。
年上のリカさんに恋焦がれる男らしいけど情けない真山。
その真山にド直球の想いを抱く美脚の持ち主、山田さん。
破天荒だけどズバ抜けた才能を持ちハグと通じ合う在学8年生の森田。
その5人をそっと近くで見守るのがハグの親戚である花本先生。

 大好きなあの人が自分を好きでないのならば、
 せめてあの人の幸せを願いたいのに、
 あの人が好きなヒトとうまくいなかいことを願ってしまう。
 わたしの恋は、なんていやらしいんだろう。

美人の山田さんは、真山のことが好きで好きで、
想いも伝えたけれど真山はリカさんに夢中で、
片想いに苦しんで悲しんで、そんなことを思う。
この気持ちに共鳴したとき、胸がすっごく痛くなる。
そうだよね、みんながハッピーになりますようにと願っていても、
誰かを好きになることで誰かを傷つけてしまうことがあるんだとね、と。

どんなに泣いたとしても、胸が張り裂けそうになっても、
恋を残酷なものじゃなくて、
キラキラとしたかけがえのない大切なものなんだと、
作者の羽海野チカは教えてくれる。
恥ずかしいくらいの青春が、ホントに人を成長させてくれるんだってこと。
羽海野さんは登場人物を心から愛していて、温かく親のような目線で
見守って描いているのが、至るところで感じられる。
そして、人の感情がふと溢れ出す瞬間がとてもリアル。
恋愛だけじゃなく、たとえば将来を想ったとき、
ふとしたときに涙って勝手に流れたりするもの。
その絶妙なタイミングを描ける人は、人として信頼できるなと思う。
人の強さと弱さを知り尽くしている人。
漫画家でいえば、魚喃キリコや安野モヨコ、矢沢あいもそう。
(『天ない』で翠が夏期講習に通っているんだけど
馴染めなくて将来が不安で、
カラ元気に振る舞っているけど突然一人になった時に
シリアル食べながら涙出ちゃう感じは、すごーくリアル)

『ハチクロ』では、ダントツで森田が個人的には好きだけれど、
彼がハグにラストに見せた弱さは、ズルいけれどそれが人間らしさだと思う。
やっぱり人はひとりでは生きていけないし、身体と心の支えが必要だ。
どこか儚さがある人に、わたしは人間味を感じる。

本編のラスト、東北へと向かう竹本クンに、
ハグが手渡したサンドウィッチ。
あれに、恋愛と友情と青春のすべてが集約されているように思う。
大切な人のために、わたしができること―。
それが優しさとなったとき、心に温かさがじんわりと染みてくる。


『ハチクロ』の実写版映画は、とても良かった。
スピッツの歌もハマりにハマっていたし、
監督の愛情も溢れていた。
そしてなにより、キャスティングが
これ以上ないくらいにハマっていた。
森田役の伊勢谷くんなんて、
「も、もりたの生き写し…」とビビった。





(C)2006「ハチミツとクローバー」フィルム パートナーズ

7.28.2009

音楽の祭典にて。

FUJI ROCK Fes.が、先週末終わった。
個人的には、気付けば6年連続参加となる。
毎年まいとし、このフェスは私たちにたくさんのハッピーを与えてくれる。

金曜日、会場に着くと大雨に歓迎された。
普段なら、雨かぁ…とテンション下がるのに、
不思議とFRFでは「降っちゃったね〜」程度。
オーディエンスもあたり前のようにレインコートを持参していて、
日常ではばっちりヘアメイクしてオシャレに気を使っているようなコですら
山の気候にきちんと対応している。
「自分のことは自分で管理する」
そんなあたり前のことが、この国では薄れている。
治安の良さと、過剰なまでのサービス業が行き届いた結果だろう。
「誰かが何とかしてくれる」
その甘さは、ここでは通用しない。
FRFでは誰もが高い意識を持っているからこそ、
雰囲気よく、純粋に楽しめる。

3年前のFRF、主催会社SMASH代表・日高氏に会った。
GENERATION TIMES』vol.7での「先駆者の背中」の取材のためだ。
彼の半生を追い、今に至るまでを書かせていただいた。
2日目の午後、グリーンステージの裏で対面した日高氏は
お決まりのテンガロンハットを被って現れた。
わたしは自分が何を質問したか、一つ以外は覚えていないが、
日高氏の言葉はすべて頭に強く残っている。
唯一覚えている、あなたの信念とは?の問いに、間髪入れず
「妥協しないこと」と答えた。
12万人規模、世界中からのアーティスト、
何億というお金が動くイベント。
それを創り上げ、築き、全責任を担っているのが、彼だ。
強靭な精神力が必要なはずだが、彼自身は楽しんでいるようだった。
「自分がカッコいいと思うアーティストのライブがしたい。
面白いことがしたい」
それが、すべての原動力。
こんな日本人が、この時代に、しかも音楽界にいることが
とても嬉しく思った。
もう一つ、FRFがあの大自然で成功している理由がある。
それは、日高氏の"人と人"との接し方にあると思う。
レッチリやoasisが売れる前、現地で彼らのギグを見て直接交渉し、
日本でのライブを実現させてきた日高氏。
アーティストとの関係だけを語れば華やかに聞こえるが、
日高氏は相手が誰だろうと、目線を変えない。
周辺取材として苗場の人達に話を伺ったときも、
皆が口を揃えて「日高さんのためなら」と言い
FRFのために惜しみなく動いている。
それは一重に、彼のフラットな目線と人柄だろう。
大将と慕われる由縁は、そこにある。

来年は、どんなFRFにしてくれるのだろうか。
もう、今から待ち遠しい。

P.S 清志郎に続き、ミッシェルのギタリスト・アベフトシが先日亡くなった。
FRFに縁がある、本物のロックを見せてくれていたミュージシャン。
わたしをロック人生に導いてくれたバンドなだけに、とても寂しい。
グリーンステージで、いつの日かミッシェル再結成…なんてのを
夢見ていたけれど、叶わなくなってしまったな……。

7.14.2009

音楽のカタチ。

時代は、変わる。
欲しいものは、PCに向かえばひょいと手に入るし、
地球の裏側にいる友達には会いたいとき顔が見れる。
雑誌や新聞の役割は、PCをONにすれば済む。
もちろん否定はしないし、便利になってなにより。
その波は、音楽業界にもモロにきている。
いいのか悪いのか…白黒ハッキリつけることはできないけれど、
音楽を愛するひとりとして日々想うことはある。

先日の引っ越しの際、わたしは思い立った。
CDのハードケースを全部捨てたのだ。
あのプラスティックのケースを解体して、裏ジャケットを外し、
一枚一枚CDと一緒にソフトケースに入れて、最後にブックレットを収める。
その作業に、貴重な週末が見事に潰れてしまった。
側で見ていると、「永遠に終わらなさそう」だったらしい。
というのも、どうしても懐かしいCDたちを見ると聴きたくなるし、
ジャケット含めブックレットを眺めてしまうのだ。

あぁこのバンドの最期のシェルターライブ、
写真より実物のがカッコよかったしグッときたなぁ。
あれ、あのバンドの前身バンドがこのコンピに入ってたんだ。
マイケル…(片付けていた時はまだ生前だった)黒!そしてかわいい!
生まれて初めてのジャケ買いは、この姉妹のだったな。
2度目のジャケ買いは、TEI TOWAだと知らずに買ったDEE-LITEだった。
ACID JAZZ SAXプレーヤーのキレイなお姉さんのCDは
ブックレットが凝っていて、美術の課題でパクらせてもらったんだ。
THE WHITE STRIPSのファーストのジャケのメグ(Dr.)に
あたし似てるって言われたな…。

一枚のCDを手にすると、それを買ったときの背景、時代、景色が
一瞬で蘇る。曲を聴いているだけじゃ、ここまでならない。
CDを手にしてお金を払い、帰ってからブックレットの隅々まで見て
ジャケ写をじっと見つめる。
そうすると、このアーティストが表現したいことや
この音楽の深い部分が見えてきたりするのだ。
音楽に夢中になり始めた頃はそんなことまで考えていなかったけれど、
表現することが本職のアーティストにとっては、
ジャケットやCD本体すべて含めて作品なはずだ。

だからこそ、ダウンロードで音楽を聴くと、どこか哀しい気分になる。
未完成な感じ。アーティストとの距離が遠いまま。
その音楽とちゃんと向き合って聴くというができない。
そんなことを思ってしまうのはわたしだけならいいのだけれど、
キッズや若い世代にとってこの手軽さがあたり前になっていると思うと
かなり寂しいなと思ってしまう。

先日、レコード会社の宣伝マンと話をしていたとき。
「今若いコはCD自体を"マスタ−"って呼ぶらしい」
衝撃だった。
そりゃもちろん、わたしも本盤からMDにおとしたり、CDに焼いたりしたし、
今はiTunesにコピーする。
iPodがないと生きていけないと、本気で思う。
でも、CDの価値は知っているつもりだ。
それが、音楽の価値にもある部分繋がると思っている。
音楽のカタチは変わっても、音楽の価値は不変なはずだ。

でも最近は、アーティスト側が無料ダウンロードとかをやってしまう。
それは、どうなのだろう。
プロが、自分の職をタダで売り出す。
ボランティアとは、訳が違うのだから…。
でもそうすれば、より多くの人が聴いてみようと思うのも事実。

音楽は、ビジネス。
でもアーティストにとっては、表現。
繋がるようで、その溝はなかなか深くて埋めるのは難しい。
聴き手であるオーディエンスにも、その意識が広まれば、
また音楽のカタチが変わってくるのかもしれない。





新居にて。
約750枚のCDがこんな
コンパクトに。
CDは捨てられないし売れない、
わたしのたからもの。

6.30.2009

日々の狭間に、笑い色を。

環境が落ち着かないと、心は荒んでしまう。
心のゆとりの幅が狭まっているなぁ…。
怒濤のような日々を過ごしていた6月。
わたしの心にぽっと灯りをともしてくれたのは、狂言だった。
年に一度、わたしはこの贅沢に浸る。

人間国宝である野村万作と、息子であり現在未来の狂言会を担う野村萬斎。
日本の伝統芸能について語れるほど知識はまったくないが、
この二人の存在がどれだけ大きいかは、舞台を見れば分かる。
この日は、世田谷パブリックシアターでの『狂言劇場 その六』が行われた。
2ヶ月前から予約をして、実は予約していたことをすっかり忘れ、
数日前に手帳を見て思い出した有様だったが、
どんなに時間がなくても、気も体力も奪われていても、
狂言の舞台はわたしを大いに救ってくれた。

この日のプログラムは、狂言と能の2部構成ではなく、
狂言と能楽囃子の構成だったため、能が苦手なわたしでも
完璧に楽しめるプログラムだった。
まずは、万作と二人の大名のみで物語が進む『二人大名』。
狂言の舞台は、飾りがなく、衣装も着物なくらいで歌舞伎のような装飾はない。
そしてほとんどが少人数で構成される。
シンプルで分かりやすい分、ごまかしが効かない。
装飾のない自分の姿で、その役を体現するのだ。
裸で舞台にいるようなものかもしれない。

万作は、舞台に出てくるだけで、空気が変わる。
フラダンサーが踊り出すと、その人の周りの空気が動き出すのと同じ。
温かみがあって、含みがあって、常にユーモアで満たされているような空気。
観客は、安心して大いに笑いを捉える体制でいられる。
そして、その期待は決して裏切られることはなく、声を出して思いっきり笑える。
この日は、万作・萬斎親子の共演はなかったが、
萬斎もやはりそこにいるだけでオーラがプンプン出ている。
凛としているのは親もそうだが、もっとシニカルで厳しさがあってニヒルな感じ。
実際、舞台でもメリハリがすごい。
伝統芸能というより、現代劇のお芝居を見ているのかと錯覚してしまうほど。
そして、一旦笑いのゾーンに突入してしまえば、
もう顔が戻らなくなる。
人を笑わせるのは、難しい。
はるか昔に書かれた脚本ももちろん素晴らしいが、
狂言という伝統を心身でしかと受け継ぎ、
その上で笑いを追求し表現する。
これぞ、ザ・エンターテインメントというべきだろう。

狂言の世界に浸り、荒み気味で疲れていたわたしの心は、
気付けばハッピーで満たされていた。
上質な笑いは、心を満たす。幸せ色に。


6.12.2009

愛しいまちに。

年にいちど、日本全国30箇所を巡る仕事がある。
会社のスタッフや信頼するライターと振り分けるが、
結局7〜8箇所飛ばされることになる。
毎年のことだ。

今年で4回目となるこの仕事。
地方のまちが、都市部の人々へ観光の先にある
体験や定住を促進させるための取り組みを取材して
一冊の冊子にまとめるお仕事。
ようは、日本の”田舎”を巡る旅記録。
(ぜんぜん違う!とスタッフから言われそうだが)
取材の準備と宿泊の準備をしているうちに、
気分はひとり旅の気分(ほんとにひとり)。
さすがに4年目ともなると、必要なものはすぐ頭に浮かぶ。
大切なのは、旅のお供となる本とドライブ時のBGM選出。
これを失敗すると、とんでもない旅になる。
そんなこんなで、先週は第一弾の四国を巡った。

わたしたちは誰もが、生まれてくるまちを選べない。
でも、自分の暮らすまちは選ぶことができる。
だからわたしは、自分の意志で地元のまちを離れた。
それは、地元のまちで暮らす自分がイメージできないからだ。
20年近くも生まれ育ったまちなのに、大好きな家族がいるのに、
そこに暮らす自分をどうしてもイメージできないのだ。

日本全国の田舎を巡っていると、
あぁここは面白いまちだな、動きがあるまちだな、
息が吹き込まれているまちだな、個性がのばされているまちだな、と
なんとなく理解できるようになる。
もちろんそこにある自然の力も大きいが、
なによりそこに暮らす人の存在が、とても大きい。
自分がここに暮らしているのはこのまちを愛しているからだ、と
言い切れる人がいるまちには、愛されている輝きがある。
人間や動物と同じで、まちだって愛されていればちゃんと輝くのだ。
まちは勝手につくられるものではない。
そこに暮らす人によってつくられる。
だから、相思相愛のまちに暮らしたいと思う。

日本の田舎は、どんどん朽ちていくまちと、
新しいまちのカタチを作りはじめているまちの
どちらかだ。
周りのまちとのレベルの低い背比べをするのではなく、
自分のまちを愛する人の愛おしい想いがカタチになるとき、
のびのびとした個性豊かなまちになるのだろう。
そんなまちが増えていったら、
きっと愉しい。

(暮らしてはいないけれど、大好きなまち・下北にある、大好きな場所より)

5.29.2009

光をもとめて

太陽が恋しくなるような、お天気の日。
そんな日は部屋にこもって、映画『イン・ハー・シューズ』を観る。
どうもキャメロン・ディアス=ラブコメという印象が強いが、
これは違う。
これは、家族の関係、姉妹であり親友である絆、
そして自分らしく輝ける居場所を見つけるまでの物語。

若くスタイルもよくゴージャスなルックスの妹マギー。
定職につかずフラフラしたその日暮らしの日々を送っているが、
難読症という悩みを抱えている。
一方、姉ローズはフィラデルフィアで
弁護士として成功を収めているエリート。
でも、ルックスにコンプレックスを抱え、
履きもしないブランド靴に美しさをゆだねてクローゼットに並べている。
正反対のこの姉妹には、同じ哀しい過去がある。
繊細な精神の持ち主だった最愛の母親を亡くしているのだ。
近くに暮らす父親は再婚し、娘たちを愛しているけれど
再婚相手への遠慮もあって距離を置いている。

そんな中、冬の気候の厳しいフィラデルフィアで、
姉妹は大きな衝突を起こす。
行き場をなくしたマギーは、父親の書斎を漁っていたときに見つけた
祖母の手紙を思い出す。
そこにあった住所は、太陽の眩しいマイアミ。
マイアミへと辿り着いたマギーは、死んだと思っていた祖母の家へ電話する。
老人ホームを手伝いながら暖かい気候の中で暮らす祖母もまた、
自分の娘を失った哀しみを乗り越えてはいなかった。
マギーはお金のため、祖母の勧めで老人ホームで働くこととなる。
嫌々ながらの仕事だったが、元教授の老人との出会いから、
誰かのためになれる自分の存在を発見し、自分らしさを見つけていく。
そこへ、喧嘩中だったローズがマイアミを訪れる。

舞台がマイアミへと移った途端に、画面には光が溢れ出す。
そしてマギーが老人たちと心を通わせマイアミに馴染んでいく姿は、
とても輝いていてのびのびとしている。
本当は誰かのためになることで歓びを感じられる心を持っているマギー。
その優しい本能がマイアミで開花し、ローズとの絆を取り戻す。
ラスト、ローズの結婚式でマギーが贈るサプライズに、
「あぁ、姉のためにがんばったんだねぇ」という、
母親というか近所のおばさん目線で涙してしまう。
誰かのために必死に頑張れる人は、とっても美しい。

大切な人を”想う”、大切な気持ちがカタチにできるとき、
なによりもまず、大切な人を”想える”とき、
人はきっとキラキラとした雰囲気に包まれてキレイになれる。
それは、いくつになってもどんな人でも共通すること。
本編のラスト、キラキラした存在で、レゲエのリズムにノリながら
式場ガーデンへと向かうマギーの後ろ姿が微笑ましい。









『IN HER SHOES』

5.15.2009

拳をあげて、うたおう。

ずっと変わることのないアーティストもいる。
それは、エンターテイナーとして一つのスタイルだ。
オーディエンスの求めることを、追求し表現し続けるということ。
しかし、人間はだれだって成長する。
アーティストだって成長する。それが、表現になる。

今年は、洋楽アタリ年かもしれない。
ビッグネームのアーティストのリリースが多い。
その中でも、メチャクチャ期待してしまうのが、
GREEN DAY。
今日、ニューアルバムが世界同時発売となった。
タイトルは、「21st CENTURY BREAKDOWN」。
この時代を生きる私たちのための、一枚だ。

私はパンクキッズではなかったが、
やはりGREEN DAYは重要なバンドのひとつとして聴いてきた。
商業主義とか階級とか学歴とか、というよりこの社会への反骨が
根にあるのがパンク。
だから、当時はパンクリスナーからは批判もされた。
それは、彼らが“ポップ”だから。
とはいえ、彼らのメインストリーム並みに美しくてポップなメロディに
世界中のパンクキッズが虜になった。
今だって、10年以上前の彼らのアルバムを引っ張り出しても
そのメロディアスさに胸がキュンとなる。
パンクな精神を持つ者にとって、彼らの存在は無視できなくなった。
だって、GREEN DAYはパンクが根っこなのに、
思いっきり世界に受け入れられているのだから。
本心は、自分は自分であるまま、社会に受け入れられたいのだ、誰だって。
はみ出し者が、メインストリームをありのままに突っ走れるってことを、
彼らは証明してみせた。

4年前、GREEN DAYはすごいアルバムを出した。
『AMERICAN IDIOT』。
これは、製作中にアメリカがイラク戦争を始めたことへの怒りを元に作られた。
ブッシュ政権への批判を公言していた彼らだが、このアルバムには多くの人が
驚いたことだろう。
だって、あのGREEN DAYが、反戦を掲げて歌っているのだ。
いつの間にか、世界的パンクバンドは、社会派パンクバンドになった。

あの『AMERICAN IDIOT』は、最高傑作と評された。
でも、新作『21st CENTURY BREAKDOWN』は、
前作を超えるアルバムだと、わたしは思う。
全18曲。サウンドは、“THE GREEN DAY”という感じ。
キャッチーだし、一度聴けば合唱できてしまうポップさがある。
リフやリズムだって、特別なことはしていない。
(ただ、この3人は基礎がかなりしっかりしている)
それでも、こんなロックを待っていた!と拳をあげずにいられない。
今作は社会派の顔というより、今の時代を生きるとはどういうことかを
描いている。
混沌としていて、荒廃していて、不安だらけで、
それでも恋人と共に期待や希望もかすかに抱いている。
ラストの曲「SEE THE LIGHT」の、闇から光が射してくるようなサウンド、
そして「俺は光が見たいだけ」という言葉が、
すべてを物語っているように思う。
そう、光を見たい。

昔はアメリカの町にいそうな若者という風貌だったが、
最近、特にビリー・ジョー(Vo&G)の顔つきが、
すごくカッコ良くなった。
とってもイイ歳の重ね方をしているな、と思う。

最高傑作を乗り越えて、また最高傑作を生み出す
彼らのアーティスト魂に、今はただただ感服したい。






GREEN DAY
「21st CENTURY BREAKDOWN」
(邦題:21世紀のブレイクダウン)