9.17.2009

型にはまらず、自由に無限に。

バンドというのは、究極の集合体だと思う。
ミニマムな集合体は、夫婦・家族だけれど、
すでに形成されたもしくはされようとしている個々が集まるバンドは、
ある意味で究極だと、そう思う。

約1ヶ月前に出逢ったバンド、Nothing's Carved In Stone
活動休止中のELLEGARDENの生方真一(G)が
ストレイテナーの日向秀和(B)をセッションに誘いスタートしたバンドだ。
わたしは、エルレもストレイテナーも好きで聴き込んでいた。
わたしなりに、二人の実力を高く評価しているつもりだったが、
この新バンドを聴いて、もっととんでもない表現者だったんだと
思い知らされた。

バンドの経緯としては、
生方へ日向が知り合いの大喜多崇規(Dr.)を紹介し、
3人でセッションを繰り返しながらボーカルを探していたところ、
my spaceで村松拓(Vo)の音楽を聴き興味を持ち、ライブを見て惚れ込み、
4人でのバンド、NCISになったとのこと。

ここからは完全なるわたしの偏った意見。
エルレというモンスターバンドを通過してきた生方は、
バンドメンバーとしての個々の在り方を知ることができたのだと思う。
バンドの方向性を見据える力がある。経営者というか。見通す力。
日向は、彼のステージを一度でも体感したことがあれば実感するだろうが、
あのパフォーマンスには圧倒的なパワーがある。
地響きを起こすエネルギーを放つ。それは人に伝染する。
大喜多のドラミングは、軽快なようでいてシーンをぶち破って順応する強さがある。
きっと引き出しが多いのだろうなと思う。
そして、ボーカルの村松は、わたしは初めて彼の存在を知ったのだけれど、
稀な逸材だと思う。
きっとメロコアを聴いてきたと思わせる歌い方、
嫌味にならず、でも男気というか色気がある声、
そして存在感のある佇まい。
ミュージシャンというより俳優のような雰囲気を放っている。
バンドで一番視線を集めなくてはいけない、ボーカルというポジションに
就くことを冷静に受け入れているような。

my spaceで人の情報を探し、見つけ、出逢う…という流れは、
実に今の時代感を象徴しているようだけれど、
この4人は、この瞬間に出逢うべくして出逢ったと確信できる。
それは、音楽に表れている。
5月にリリースした、1stALBUM「PARALLEL LIVES」。
4人の個性を超えた"アク"が、ひとつの空間に集まって、
ぶつかって混ざり合い、型から外れた13コの形となっている感じ。
バンド名通り、決まり事はなく自由にどうにでもなれる。
そんなことを彼らは叫びたくてしょうがない、という感じ。

彼らの音楽をどう受け止めるかは、それぞれ。
4人のそれぞれの音楽経緯を知っている人にとっては、比較対象だろうし、
まったく知らない人にとっては、今の日本のオルタナロックとなるかもしれない。
それでいいと思う。
彼らもそれを望んでいると思う。
自分の表現したい音楽、もっといえば音楽への愛は、
だれにも型にははめられない。
その神聖な想いが、集合体になっているだけなのだから。
そんな自信が、このバンドの音からは、ひしひしと伝わってくる。







1stALBUM「PARALLEL LIVES」



彼らの音楽感、世界観、バンド感、音楽への神聖でピュアな想いが、
この一曲に奇跡的に宿っているなぁと思う。
my spaceでの再生回数に確実に貢献しています。

9.03.2009

強く、痛く、美しく。

わたしが初めてフリーダ・カーロという名前を知ったのは、
4年前。
訪れたこともないメキシコについて物語を書くことになり、
歴史やカルチャーなどを調べていて出逢ってしまった。
その強烈なまでの力に惹き付けられてしまった。
彼女が描いた絵を見ると、魔法にかかるように仕組まれているような、
そんなものすごい力。

1907年メキシコシティに生まれたフリーダ。
幼い時病気を患い右足が不自由になり、
18歳の時ボーイフレンドと乗っていたバスが事故をおこし、
瀕死の事故を負う。
子供の産めない身体になり、若さ溢れる時期にベッドの上で過ごす日々。
天井に鏡があり、そこに映る自分の姿を、キャンバスへと生き返らせてきた。
そして、メキシコが誇る壁画家ディエゴ・リベラと出逢い、
背中を押されて絵を描く道を選ぶ。

フリーダの絵は、ほとんどが自画像だ。
その描写は、すさまじい。
リベラとの子供を流産させてしまったときには、血に染まったベッドを。
自分の身体に矢が突き刺さる絵、荒野で晒す継ぎ接ぎだらけの上半身、
NYのビルから落ちて血にまみれた無表情な顔。
どれも毒々しくて、生々しい。
それでも、目を背けられない強さがある。
痛々しいまでの強い想い、そして深い生命力。

世田谷美術館で開催していた『メキシコ20世紀絵画展』では
フリーダの絵が入り口付近に悠然と飾られていた。
やっぱり強烈なまでに存在感を放っていた。
眩しすぎて、あまり近づくことができなかった。
MOMAでばったりフリーダの絵に出逢ってしまったときのような
衝撃はなかったけれど、
それでも彼女が放つ美しい存在力に触れることができて満たされた。
あんな強さを、身につけることができるのだろうか。
凛とした芯の強さと、最期まで女であり続けた生き方には、
やはり無条件に心惹かれる。




メキシコの大地へ訪れて、現地のアーティストの
雑貨を輸入し扱っている、
LABRAVA』より。
アギラール・ファミリーの陶人形。