11.30.2009

愛のヒト

わたしは特に、マイケル・ジャクソンのファンではない。
ジャクソン5は聴いていたけど、
マイケルの曲をきちんと聴いたことはなかったと思う。
でも、彼の存在感というか、人柄に惹かれるところがあった。
尋常じゃない優しさを、感じていた。
それがどういうことで、何なのか、
「THIS IS IT」を観て、ハッキリと分かった。

終演前日の午後。超満員のヒルズの映画館。
今年開催されるはずだった、ライブのリハ映像を編集した本作。
オープニングは、若きステージダンサーたちのコメントからだった。
リハに備える彼らは、ライブへの意気込みを語るとき、
目に涙を浮かべて「マイケルと同じ舞台に立てるなんて夢のようだ」と言う。
明らかにダンスに、マイケルに救われて生きてきたような人もいた。
その表情は、みーんな心からの幸せで満ちていた。
自分よりもスゴい存在に触れてしまった人特有の、
謙遜さと本当の愛情を知った解放感がオーラとして放たれていた。
わたしは、オープニングから涙が止まらなかった(本人まだ未登場)。
不安も妬みも恐怖もなくて、そこにあるのは優しさと愛情だけ。
ダンサーたちは、これから先どんなことがあっても、
一生輝いて生きていけるはず。
それだけの力を、あの期間でマイケルからもらえたと思う。

リハのステージに立つマイケルは、パフォーマーの神様が降りているとしか
思えないような感じだった。
正直、心ここに在らず的に感じたが、それはあのライブが
マイケルのためではなく、スタッフのため、ファンのため=世界のため…
という目的だと、本人は認識していたのではないだろうか。

個人的にグッときたエピソードを。
ジャクソン5のナンバーを歌おうとしたマイケル。
イヤホンからのバンド音の返しが強くて、
マイケルは歌うことができなくてイヤホンを外した。
そしてスタッフにマイクで言った。
「僕はイヤホンに慣れていないんだ。
自然の音を聴くように育てられてきたから。
でも慣れるようにしているよ。怒ってるんじゃないよ。
"愛"だからね」

with LOVE.
もう、これがすべての答えという感じ。
いつも穏やかな声と話し方と言葉を放つマイケル。
その存在は、確かな愛のヒト。

11.17.2009

VIVA LA VIDA

人にはそれぞれ縁のある言葉があると思う。
縁のある数字があるのと同じように。
わたしにとって縁のある言葉、それが
「VIVA LA VIDA」。

COLDPLAYが2008年6月にリリースした『VIVA LA VIDA』。
はじめは何気なく聴いていた程度だったが、
何度聴いても飽きないこと、そして曲に漂う崇高な印象に惹かれていった。
ただその程度止まりで、歌っている内容に関して、
このときは特に注目はしていなかった。

先日、代官山のレコード屋に行ったときのこと。
CDや本を探すとき、毎回「今のわたしに必要なものに出逢いたいです」と
心にお願いをするのだが、このときもそうだった。
お願いをした途端、スタッフがBGMを変えた。
それが、「VIVA LA VIDA」のDJ Omkt Remixだった。
原曲でも印象的だったベルの音とストリングス、ティンパニーのリズムが
ハウスリミックスの手に掛かり、
天井の高い店内に響き渡った。
わたしの意識は、すべてこの曲に持っていかれてしまった。
それ以来、毎日毎日、何度も何度も聴いている。

なんて、神聖な曲なんだろう。
不思議なもので、コーラスは天使の声にしか聴こえなくなってくるし、
鐘の音は天国で鳴っているように思えてくる。

ここまできてやっと、歌詞に注目した。
すると、とんでもないことを歌っていた。

I used to rule the world.
(かつて私は 世界を支配した)
こんな一文で始まる。
かつて国を支配し、その後崩れていった王様が味わったであろう心情。
民衆や革命家が待ちわびるのは、自分の首。
そうだ、誰が王になんてなりたいのだろう…。

フランス革命のことを歌っているのだろうか?
それとも、聖書の記述に出てくる時代のことなのだろうか?
曲を書いたクリスは、具体的なことは何も語っていない。
でも、わたしの勝手な解釈では、
自分たち(COLDPLAY)の存在と重ねているのではと思う。

全世界の頂点に立ったCOLDPLAY。
でもそこの世界は、とてつもなく孤独な世界なのだろう。
それは、誰もなかなか共感することのできない世界。
人々から必要以上に注目され中傷され、
それでいて自分の道を切り開かなくてはいけない世界。

なんの分野でも、それが仕事でなくても、
人の上に存在するということは、とても孤独なこと。
それでも、COLDPLAYは、この曲をこう呼んだ。
「VIVA LA VIDA」と。
訳して、「生命万歳/美しき人生」。

かつてわたしが惹かれた、メキシコの画家フリーダ・カーロ。
彼女が瀕死の状態で最期に描いた絵のタイトルも、
「VIVA LA VIDA」だった。

繋がった気がする。

このハウスリミックスは、原曲の崇高さを最大限にまで引き延ばしている。
だから、この曲で踊ると、本当に天国にいる気分になる。
心と身体中が、慈愛で満たされる。
クリスもDJ Omktも、この曲を手掛けているとき、
きっと降りてきてしまったんだろうなぁ。




『KEEEEP KIDS DANCIN' EDITION3』

収録されているBlurのエレクトロリミックスも、最高。

10.14.2009

進むべき道へ

本当に大切なことってなんだろう。
生きるのに重要なことってなんだろう。
食べること?それとも、働くこと?
周りに認められること?それとも、誰かを愛すること?

70'sに全世界でベストセラーとなった『かもめのジョナサン』。
タイトルは知っていたけど、最近ソウルメイトに勧められて初めて読んだ。
あぁ、なんて孤独なんだろう。
なんて孤高なんだろう。
そして、なんて愛情深いんだろう。
『バガボンド』が与えてくれた教えと、まったく同じ。
それが、読み終えた素直な感想だった。

かもめのジョナサン・リヴィングストンは、
群れから離れ、食べることも忘れ、独り練習に明け暮れていた。
いかに早く飛ぶかー。ジョナサンの瞳には、それしかなかった。
ついには、群れから追放され、独りで生きていかなくてはならなくなる。
だれもいない場所で、静かに強い意志を持ち、限界に挑戦する日々。
それでも、ジョナサンは自由だった。
他の大勢のかもめが抱いている退屈、恐怖、怒りから
解放されたから。
大切なのは、飛ぶこと。
そこから歓びを得て、自分自身を愛することを学ぶこと。
生きるうえで真に大切なこととは、それなのだ。

ジョナサンの生き様は、わたしたちに真実を教えてくれる。
愛と自由の信念を掴んだら、それを信じて突き進むのみ。
常に大切なことは、周りではない。自分自身の中に答えがある。
その道は、とても孤独なのだろう。
でも、自分が解放されて真の愛と自由を自分のものにできたとき、
孤高の存在になれる。
その歓びと愛に満たされた自分をイメージするところから、はじめたい。

この本に出逢わせてくれたことに。どうもありがとう。








『かもめのジョナサン』
リチャード・バック 著

9.17.2009

型にはまらず、自由に無限に。

バンドというのは、究極の集合体だと思う。
ミニマムな集合体は、夫婦・家族だけれど、
すでに形成されたもしくはされようとしている個々が集まるバンドは、
ある意味で究極だと、そう思う。

約1ヶ月前に出逢ったバンド、Nothing's Carved In Stone
活動休止中のELLEGARDENの生方真一(G)が
ストレイテナーの日向秀和(B)をセッションに誘いスタートしたバンドだ。
わたしは、エルレもストレイテナーも好きで聴き込んでいた。
わたしなりに、二人の実力を高く評価しているつもりだったが、
この新バンドを聴いて、もっととんでもない表現者だったんだと
思い知らされた。

バンドの経緯としては、
生方へ日向が知り合いの大喜多崇規(Dr.)を紹介し、
3人でセッションを繰り返しながらボーカルを探していたところ、
my spaceで村松拓(Vo)の音楽を聴き興味を持ち、ライブを見て惚れ込み、
4人でのバンド、NCISになったとのこと。

ここからは完全なるわたしの偏った意見。
エルレというモンスターバンドを通過してきた生方は、
バンドメンバーとしての個々の在り方を知ることができたのだと思う。
バンドの方向性を見据える力がある。経営者というか。見通す力。
日向は、彼のステージを一度でも体感したことがあれば実感するだろうが、
あのパフォーマンスには圧倒的なパワーがある。
地響きを起こすエネルギーを放つ。それは人に伝染する。
大喜多のドラミングは、軽快なようでいてシーンをぶち破って順応する強さがある。
きっと引き出しが多いのだろうなと思う。
そして、ボーカルの村松は、わたしは初めて彼の存在を知ったのだけれど、
稀な逸材だと思う。
きっとメロコアを聴いてきたと思わせる歌い方、
嫌味にならず、でも男気というか色気がある声、
そして存在感のある佇まい。
ミュージシャンというより俳優のような雰囲気を放っている。
バンドで一番視線を集めなくてはいけない、ボーカルというポジションに
就くことを冷静に受け入れているような。

my spaceで人の情報を探し、見つけ、出逢う…という流れは、
実に今の時代感を象徴しているようだけれど、
この4人は、この瞬間に出逢うべくして出逢ったと確信できる。
それは、音楽に表れている。
5月にリリースした、1stALBUM「PARALLEL LIVES」。
4人の個性を超えた"アク"が、ひとつの空間に集まって、
ぶつかって混ざり合い、型から外れた13コの形となっている感じ。
バンド名通り、決まり事はなく自由にどうにでもなれる。
そんなことを彼らは叫びたくてしょうがない、という感じ。

彼らの音楽をどう受け止めるかは、それぞれ。
4人のそれぞれの音楽経緯を知っている人にとっては、比較対象だろうし、
まったく知らない人にとっては、今の日本のオルタナロックとなるかもしれない。
それでいいと思う。
彼らもそれを望んでいると思う。
自分の表現したい音楽、もっといえば音楽への愛は、
だれにも型にははめられない。
その神聖な想いが、集合体になっているだけなのだから。
そんな自信が、このバンドの音からは、ひしひしと伝わってくる。







1stALBUM「PARALLEL LIVES」



彼らの音楽感、世界観、バンド感、音楽への神聖でピュアな想いが、
この一曲に奇跡的に宿っているなぁと思う。
my spaceでの再生回数に確実に貢献しています。

9.03.2009

強く、痛く、美しく。

わたしが初めてフリーダ・カーロという名前を知ったのは、
4年前。
訪れたこともないメキシコについて物語を書くことになり、
歴史やカルチャーなどを調べていて出逢ってしまった。
その強烈なまでの力に惹き付けられてしまった。
彼女が描いた絵を見ると、魔法にかかるように仕組まれているような、
そんなものすごい力。

1907年メキシコシティに生まれたフリーダ。
幼い時病気を患い右足が不自由になり、
18歳の時ボーイフレンドと乗っていたバスが事故をおこし、
瀕死の事故を負う。
子供の産めない身体になり、若さ溢れる時期にベッドの上で過ごす日々。
天井に鏡があり、そこに映る自分の姿を、キャンバスへと生き返らせてきた。
そして、メキシコが誇る壁画家ディエゴ・リベラと出逢い、
背中を押されて絵を描く道を選ぶ。

フリーダの絵は、ほとんどが自画像だ。
その描写は、すさまじい。
リベラとの子供を流産させてしまったときには、血に染まったベッドを。
自分の身体に矢が突き刺さる絵、荒野で晒す継ぎ接ぎだらけの上半身、
NYのビルから落ちて血にまみれた無表情な顔。
どれも毒々しくて、生々しい。
それでも、目を背けられない強さがある。
痛々しいまでの強い想い、そして深い生命力。

世田谷美術館で開催していた『メキシコ20世紀絵画展』では
フリーダの絵が入り口付近に悠然と飾られていた。
やっぱり強烈なまでに存在感を放っていた。
眩しすぎて、あまり近づくことができなかった。
MOMAでばったりフリーダの絵に出逢ってしまったときのような
衝撃はなかったけれど、
それでも彼女が放つ美しい存在力に触れることができて満たされた。
あんな強さを、身につけることができるのだろうか。
凛とした芯の強さと、最期まで女であり続けた生き方には、
やはり無条件に心惹かれる。




メキシコの大地へ訪れて、現地のアーティストの
雑貨を輸入し扱っている、
LABRAVA』より。
アギラール・ファミリーの陶人形。

8.20.2009

ローカル文化を守るために



今から約3年前に初めて訪れたhawaii。
ハワイ島での滞在は、わたしの人生観をガラリと変えた。
夏が苦手だったわたしのことを、hawaiiは大きく包み込んで迎えてくれた。
外から来たわたしのような人間を、
しかも初めはhawaiiへの愛など感じてなかったのに、
無条件にhawaiiはわたしに好意を寄せてくれた。
ハワイアンには与える精神がある。
それはアロハ・スピリットでもあるわけだが、
hawaiiは歴史を通じても与え続けてきている。

公開中の映画『BUSTIN' DOWN THE DOOR』は、
70's半ばにオーストラリアと南アから、ノースショアへやって来た、
サーフィン革命児たちのドキュメンタリー映画。
まだサーフィンがビジネスになる概念などない頃、
ロコサーファーが気楽にサーフィンを楽しんでいた頃、
「サーフィンをしたい。サーフィンで1番になりたい」との想いで
6人の若者がそれぞれにhawaiiに集った。
始め外国人たちは地元の大会に招待もされなかったが、彼らの実力は格別。
そのうち、ロコやメディアに認められ、オージーサーファーは賞を総なめにする。
そのうち彼らは「サーフィンで一生食べていきたい」と夢を抱き、
メディアを使って名前を売るようになる。
しかし、彼らのうちの一人が、オーストラリアのサーフィン雑誌で
『Bustin Down the Door』(ドアをブチ破れ!)という連載を始める。
そもそもhawaiiのドアをノックせずにズカズカとサーフィンだけで
乗り込んできた彼ら。
ついには「アロハは死んだ」なんて書いたものだから、
平穏温厚なハワイアンは怒り、暴力という手段に出た。
hawaiiが歩んできた強奪・略奪の歴史の繰り返しだとロコたちは思っただろう。
そしてなにより、ローカル文化を守りたい一心だったに違いない。
良いモノはみんなでシェアする。
それが、hawaii文化でありアロハ・スピリット。
結果、彼らはロコたちのスピリットを理解し和解した。
そして、今のサーファービジネスの基盤を作ってきた。

ローカル文化を守ること。
それは時には穏やかにいかないことだってある。
hawaiiに行って人生観を変えられたわたしは、今、海の近くに住んでいる。
ここのローカル文化も、かなり根強い。
わたしは本当に運が良く、今の地域の人たちと
仲良くさせてもらっている。
その人たちのほとんどは、損得勘定などなくて、
嘘をつくことができなくて、いつも自分と自分の大切なモノや人を
守る為に日々を楽しく思いっきり生きている感じ。
そのために、何年もかけていろいろと闘ってきたのは
少し深い話をすればすぐに分かる。
いろいろと経験し、勝ち得て守り抜いてきたここのローカル文化。
でも、そこにわたしのような外からの人間が来ても
「ようこそ」と言って手を差し伸べてくれる。
もちろん、わたしがこの場所を愛していることを
分かってくれたからだろうが。

hawaiiも日本の海辺街も、甘いだけじゃない。
そこに流れるスピリットが真っ直ぐでピュアであるかどうか。
そんなスピリットが、ローカル文化を受け継ぎ守っていくのだろう。

8.17.2009

ファッションのいみ

わたしは、デザイナーズブランドにあまり興味がない。
特に、ラグジュアリーブランドにはまったく疎い。
名前を聞けば、なんとなく分かる…程度。
キレイなお洋服なのは想像できるけれど、自分の実生活で着るには
程遠いものだし縁がないなと思っていた。というか、思っている。

でも、デザイナーという職業に敬意は持っている。
それは数年前に『ヴィジョナリーズ』という本に出逢ってから。
スザンナ・フランケルというジャーナリストによる、過去10年間の
ファッションジャーナリズム寄稿をまとめたもの。
ヴィヴィアン・ウエストウッド、ドルチェ&ガッバーナ、ヴァレンティノ、
マノロ・ブラニク、イッセイ・ミヤケ、川久保玲など、
23人のトップデザイナーが登場する。

伝統格式の高いイギリスにおいて異端児とされるデザイナーの心境、
女性を美しく輝かせる服が創れるのは女性への敬意と愛があるから、
体型の変化が激しい女性のライフスタイルに寄り添う服を創ること、
常に正しい選択をするためにも自分ではなく着る人を第一に考えること…

この本には、23人による23の哲学がある。
ファッション業界にいない人にとっても、ファッションに何の興味がなくても
彼らの哲学にはどの分野においても共通することがあるし、
教えられることが多い。

人がファッションを纏うとき、何に赴きを置くかはその人それぞれだろう。
わたしは、ファッションとは人の性格の一部だと思っている。
その人そのもの、またはその人の一部を表すもの。
自分を表現する最高の術だと思う。
流行の服や名前だけに惹かれて買った服を纏うだけでは、
やっぱり魅力に欠ける。

この本の中で、当時グッチのクリエイティブ・ディレクターだった
トム・フォードの言葉は、妙に納得させられた。
「人間、リラックスしていないと絶対セクシーになれない。
セクシーな人たちはたいてい、自分自身に対しても
とても心地よく感じている場合が多い。他の人たちが自信をなくしたり
自分を見失っている間もね」

トムの言葉は、ファッションの本質を突いているような気がする。
誰だって、自分の中にある女らしさ(男らしさ)を輝かせたい、
自分のためにも魅力的でありたい、と思うはずだ。
それには、解放してリラックスすることは大切。
その心の状態で選んだファッションには、
ちゃんと自分が映えるはずだから。

と思って毎日服を選んでいるわけだが、
リラックスしすぎなのか、世間離れしすぎなのか、
"小学生の夏休み"というテーマを仕事仲間に命名される今日この頃。
まぁ、夏ですから…




表紙のデザインもスタイリッシュ。


『ヴィジョナリーズ』
ブルースインターアクションズ刊