2.27.2009

さぁ、召し上がれ。

今夜の夕食は、ささっと和えたパスタと赤ワインにしよう。
バルサミコとオリーブオイルと塩をグリーンサラダに振りかけて。
そんな夜は、映画『ディナーラッシュ』をお供にしたい。

移民が創り上げた街・NY。
マンハッタンのトライベッカ地区は、レストランの激戦区だ。
NYには、イタリア系の人たちが多い。
普段は大雑把で大らかなのに、食には大雑把ながらうるさい人たち。
自分たちの文化、特に食文化に誇りを持っている。
あのDeau&DelucaはNY発祥だが、創始者のデルーカさんはイタリア系。
幼い頃から食べてきた本当に美味しい物をNYに、との想いでチーズ屋を始め
そこからスタートしたとは、知られた話。

さて、映画本編。
場所は、トライベッカにあるレストラン「ジジーノ」。
若手人気スターシェフ・ウードは、経営者である父親が引退して
「ジジーノ」が自分の店となることを願っている。
古風な父親は、息子が作る創作料理には興味がない。
むしろ、今は亡き妻のイタリア家庭料理が一番だと思っている。
ここ最近、「ジジーノ」を買い取りたいというギャングが接近。
そのギャングが「ジジーノ」の共同経営者を殺害するところから話が始まる。
様々なニューヨーカーが集う、ある晩の物語。

スタイリッシュなサスペンス…と紹介されていたりするが、
とんでもない。サスペンスなんて。
スタイリッシュは言葉通りだが、これは立派なヒューマンドラマであって、
NY物語であって、食いしん坊のための物語。
飾り気はなくカジュアルなんだけれど、くだけ過ぎていない、
いかにも本物のNYレストラン(五つ星とか高級レストランは表の顔)
という雰囲気の店で、狭い厨房の中作り出されるイタリアンが食べたくなる。
そして、こういうお店ではワインはボトルがいい。
ボトルをシェアしながら飲むのは、格別に楽しい気分になる。
おしゃべりも弾む。
軽快なjazzをBGMに、会話でガヤガヤしている店内は心地よい。
博識なバーテンダーとのおしゃべりもNYらしい。

こんな本編の風景を見ながら、自分のために作ったイタリアンと
気分で選んだワイングラスに赤ワインを注ぐ。
そんなとき、食の楽しみを感じられることを嬉しく思う。
調理は、シンプルでいい(ただ食材はいいものを)。
この映画があると、なんてことない料理も
スペシャルに美味しい今宵のご馳走になるから不思議だ。

さあさあ、今夜は早くおうちにかえろう。



2.21.2009

旅をする、言葉たち

「アメリカ」と聞いて、なにを思うだろうか。
わたしは、ある風景をすぐさま思う。
この道は、地球の裏側まで繋がっているのだろうかと思わせる、
果てしなく伸びる路上。
左も右も、見渡す限りあるのは、平野のみ。
ときにそれは畑となり、ダイナーとガススタンドがポツンと現れる。
歩く人はいない。と思ったら、ヒッチハイカーとすれ違う。
遠く反対車線から大型トラックが、蜃気楼の中やってくる。
どこからきて、どこへ向かうのだろう。
すれ違い様、車窓から左手を挙げて互いの幸運を祈る。
これが、わたしの「アメリカ」。

といっても、わたしはNYとhawaiiしかアメリカを知らない。
でも、NYはNY、hawaiiはhawaii。
どちらもアメリカ、という意識は薄い。
反対に、上に書いた情景こそアメリカ、と感じる。
なぜなのだろう。
その理由のひとつには、ケルアックがある。

50年前、ジャック・ケルアックは『On the Road』を書き上げた。
アメリカ横縦断の旅。
相棒は、女酒ドラッグが基盤だけど人間臭くて魅力のあるディーン。
後にこの文学(他に作家・詩人のギンズバーグ、バロウズも)は
“ビートニク”と呼ばれ、
文学界を飛び出したカルチャーとして今なおその影響は大きい。

いま、書店では、写真家ロバート・フランクを特集した
雑誌『coyote』が並んでいる。



coyote no.35 march 2009
スイッチパブリッリング発行







1955年スイスから移住したフランクは、
ライカを片手に「アメリカ」を撮った。
彼の「アメリカ」を一冊にした写真集『The Americans』刊行から
今年で50年。
彼の軌跡を語れるほど彼の写真に精通していないが、
今号でとても興味深いページがあった。
58年、フランクと共にドライブの旅に出たケルアックの文章に出くわしたのだ。

NYからフロリダへの旅路。
一方は写真を、一方は文学を、自己表現の術とするふたりの男。
ここでも、ケルアックの空気を読み取る感受性とそれを言葉にする文才は
咲いている。

交差点の信号の寂しげなたたずまい。
暮れなずむ彼方を背景に、電話線が弧を描いて垂れている。
その彼方へと別のトラックが頑固な面持で向かって行く。
目指すは人間的なゴールか、沸き立つ歓びか、休息か。
              (『coyote』“On the Road to Florida”より)

あるアメリカの町角。そこにあるすべてが、瞬時に流れ込んでくる言葉たち。
ケルアックは、実に巧みに言葉に息を吹き込む作家だ。

『On the Road』もそうだが、ケルアックが書く相棒像は
尊敬と友情でえがかれる。
カメラを片手にどこであろうとうろうろ歩き回り、
見たいものを撮るフランクの姿にケルアックは驚愕しながらも、
「決定的瞬間のまわりをうろついているこの写真家自身のショットが撮りたい」
という。
そして、この旅の締めくくりは、「もの書きのための教訓」として
優れた写真家のあとに付いて、カメラを向けるものを見ること、とする。
結果、それが「アメリカ」なのだから、と。

フランクの写真然り、ケルアックの言葉たちは「アメリカ」そのものだ。
わたしにとっては、まさにこれが「アメリカ」だ。
果てなくつづく、文学の旅路。
いつか路上に佇み、旅をする言葉たちと左手を交わしたい。

2.16.2009

解き放たれる、ということ。

年に何回か旅をしているが、
こんなに自分にしっくりきた旅は久々だった。

hawaiiはオアフ島からカウアイ島への旅路。
東京では寒すぎたダウンベストがうっとおしいほどの空気に歓迎され、
オアフに住んでいる友達を訪ねた。
翌日は、行きたかったノースショアまでバスに揺られ、
太陽が山に隠れる時間まで過ごした。
ジャック・ジョンソンが音楽を創り出しているこの場所は、
多少観光地化されているけれど、程良いローカルな生活感が流れる地。
サンセットを見ながら海辺で過ごすひとときは、
あぁ本当にhawaiiにきたんだ、と感じさせてくれた。
浅瀬では幼い子供がサーフィンで遊び、親たちは犬と戯れている。
海に光るのは夕日の輝き。
約12時間かけて、この太陽は広い空を旅してきたのだ。
本当に、本当に、キラキラしていてすべてが美しい。
人生って美しい。そんなことを素直に心から思わせるパワーがあった。


そしてオアフを後にしてカウアイ島へと飛び立った。
ここは、すべてのサイズがちょうどよい島だ。
ポツポツとある街も、人の数も、海までの距離感も、空までの高さも。

徐々に、身体と心が解き放たれていくのがハッキリと自分で分かった。
邪気などまるでない、純粋な子供に戻ったような感じだ。
10年近く日焼けをしてこなかったのに、今回はありのままを受け止めたくて
太陽の日差しを思い切り全身で浴びた。
とはいえ、太陽と仲良くなるには久々すぎたからか、朝ひと塗りしただけで
一日中サンブロックできてしまう日本の化粧品会社が優秀なのか、
想像以上に白いままだが。
朝日が海に照らされているのを見ながら海辺を望む芝生でヨガをして、
すぐにでも水に飛び込めるように虹色ワンピの下には水着をつけ、
部屋に戻ればプールに飛び込み、眠たくなったら昼寝をして、
日が沈むと同時に美味しい野菜や魚をいただき、11:00には眠る日々。
ひとは、自然と共に生きるもの。
だから、太陽のリズムに従い共に生きていくと
本来の健全なひとを取り戻せる。

hawaiiは、たとえばマッサージで得られる癒しとは違う‘気’が得られる。
この地にいると、感情と感覚が、鋭くなっていくのだ。
最終日、そんなことを思いながらバルコニーでコナビールを飲んでいた。
友達はベッドで昼寝をしている。
わたしはひとり、理由もなく感情がいっぱいになり涙が溢れてきた。
それは、感情と感覚が解放された証拠。
きっと、これが、生きているということなんだろう。
そして、幸せっていうことなのだろう。
これからの毎日、毎分、毎秒を、笑顔で大切にしてalohaな心で
生きていこう。そう思えた。

A=Akahai やさしさと思いやりを
L=Lokahi 調和と融合を
O='Olu 'Olu 喜びを持って柔軟と温和を
H=Ha'a Ha'a ひたすら謙虚さを
A=Ahonui 忍耐と我慢を

2.10.2009

遠い異国の地で。


こんなに考えさせられる旅は、はじめてだった。

昨年の秋、南アフリカを訪れた。
アフリカ大陸最南端の街・ケープタウンへ降り立ち、
いきなり税関で止められ、
これが噂の賄賂要求?という歓迎を受け、
肌を刺すような太陽の日差しを浴びた。




南ア在住歴15年の女の子ロビンさんが、
ぐいぐいとマニュアル車で(オートマは面白くないとのこと)
今回の目的地・エルギン地区まで連れていってくれた。
まだ若いブドウ畑が果てしなく広がる美しい風景。
そこで迎えてくれたのは、スーザン一家。
彼女たちの家に、数日だけホームステイさせてもらう旅となった。

南アにはつい15年前まで、アパルトヘイトがあった。
人種差別をしますよ、と政府が宣言していたのだ。
映画『アマンドラ!希望の歌』を数年前に観るまで、
本当に恥ずかしながら、わたしはアパルトヘイトの事実を知らなかった。
学校でもちろん習ったのだろうが、地理歴史の授業は昼寝の時間だった。
きっとわたしの脳には遠い昔の悲劇の歴史としてインプットされたのだろう。

エルギン地区の人々は、アパルトヘイトで虐げられていたカラード(混血)だ。
彼らの現状は、今の生活を脱してもっと良くしたいけれど、
その術を自ら掴む方法が見当たらず、家族のために今ある仕事をこなしている感じ。
自分たちが置かれた状況や運命ゆえ、
上流階級や先進国の人間が何かしてくれるのを待ってしまう人も多い。

あるコミュニティで質素ながら綺麗に整頓された家に暮らす家族が、
快く家の中へ招いてくれたときのこと。
その家の娘は30代で14歳の息子がいて(シングルマザー率高し)
両親と暮らしていた。
突然の客にも「ファンタとコーラ、どっちがいい?」と言い、
写真を撮らせてとお願いすると、快く応じてくれた。
綺麗な赤いバラが咲くこじんまりとした庭、
2匹の大きな犬と3匹の猫、そして仲の良い家族との暮らし。
賃金に満足はしていないにしろ、家の様子から荒んだ暮らしではなかった。
しかし、彼女がわたしと二人きりになったとき、こう言った。
「お願いがあるの。あなたのいらない服やバッグを、わたしに送ってほしいの」
わたしは、困惑してしまった。途上国に慣れていないせいもあるが、
正直何て答えていいのか、分からなかったのだ。
もちろん、作業的にはできる。いらない服はある。
でも、ほいほいと寄付していいのだろうか。しかも、個人的に。
答えに詰まっていると、戻ってきたロビンさんが状況を把握してピシャッと言った。
「それはできないよ。あなたにだけ送ることはできないし、
もしそれが本当に必要ならここのコミュニティを通すから」
蜜の味を知ってしまうと、南アの人々はいつまで経っても自立できない。
ロビンさんは、かねてからそう言っていた。
その意味がよく分かったし、先進国のわたしがすべきことの意義が少し理解できた。
それは、巷によくある援助やチャリティーに通じること。
チャリティーに疎い日本は特に、それに参加するだけで満足してしまう。
(数年前の日本でのLIVE8なんかは、特にそうだ)
でも、彼らとの関係の築き方の本質は、そこではないはず。
人 対 人。お互いに甘んじたり施しではなく、
対等な関係が本当は築けるはず。一方的では、ダメなのだ。

一方で、スーザン自身はとても意識の高い人で、家族が自立して
生活する術を身につけようと努力していた。
ほとんどの人がアフリカーンス語訛りの英語を話す中、
スーザンやスーザンの子供たちは完璧な英語を話す。
スーザン一家は、明らかに目の輝きが違っていて、魅力的だった。
14歳の次女シャーノンは、とてもクレバーで優しいコ。
将来はどうしたい?と聞くと、少し照れながらも
「パパのようにワイナリーで働くか、医者になりたい」と
しっかり答えたとき、
彼女は未来そのものなんだ、と感じた。
そう感じられたことで、ここがキラキラとした異国の地になった。




万国共通なのは、猫のこの眼。
「あら、お客?ふーん…
ま、ゆっくりしていけば?」とでも
言っているような。
たまらなく、いい。






(今回の取材旅行は、UR STYLEの特集記事にて
どこかで配布しています)

  

2.04.2009

世代交代とはこれか、と思う。

たとえば作家や映画監督とは違い、バンドは世代がよく表れる。
それは、そのメンバーの育った世代の価値観と
聴いてきた音楽がベースにあるからだ。

わたしの同世代のバンドといえば、
ストレイテナー、ゴーイング、THE BACK HORN、ART-SCHOOL、
detroit7、ランクヘッド、フジファブリック、凛として時雨…
(ほぼ年齢順…だと思う)
そして少し上世代には、
アジカン、ACIDMAN、8otto…
そのまた上世代には、
モーサム、くるり、キウイロール、ブッチャーズ、ハスキン、
ナンバーガール、the pillows、ミッシェル、ブランキー…がいる。
(どれも思いつきのため大雑把な羅列ですが)

前も書いたが、やはり同世代のバンドにはなにか感じるものがある。
わたしの世代は、どちらかというと自己よりも同調を優先する世代だと思う。
そして背伸びすることをカッコ悪いとみなしがちで、
自然体でいることを良しとする。
そのくせ、ストレートに表現(特に愛情表現)することに抵抗がある。
媚を売るのは嫌いだが、周囲の目を無視する程の強引さはない。
この特徴は、同世代のバンドを見聴きすると唸ってしまうほどよく分かる。
同じ時代に生まれ育ち、時代の空気や温度を感じてきたのだから当然だろう。

そして、下世代。
NICO touches the walls、RADWIMPS、HIGH VOLTAGE、lego big morl…
若いバンドは数知れずだが、わたしが一番世代を感じたバンドは、
9mm Parabellum Bulletだ。
2008年見たライブで一番回数の多いバンドは、9mmだった。

9mmサウンドは、ロックとカテゴリーされる類いの音を網羅、
そこにメロディアスでキャッチーなメロディと、
宇宙スケール感の言葉がくる。
自分たちが聴いてきた音楽のすべてを取り入れちゃいました的な。
それを実は緻密に組み立てて、9mm色に仕上げているのだ。
昨年、彼らは、
「一応曲名は伏せておくけど、曲には元ネタがある」と堂々と言っていた。
そして何においても
「自分らが楽しいか、カッコいいと思えるか」どうかが基本。
日常の延長で遊びながらも真剣にカッコいいバンドやっています、
という姿勢。
いや自分らすごくないですよ、という謙遜はない。でも、えばってもいない。
新鮮だと思った。

9mmは、見ていて楽しい。
まぁ本人たちが楽しいのだから、こちらも楽しいのだが、
ライブでの、あの暴れっぷりは気持ちがいい。
途中でギター放り投げて踊っているし、ボーカルにタックルしているし。
今時珍しい2バスドラのコックピットさながらのドラムセットは凄まじいし。
9mmを見ていると、ドラムの腕で変わるなぁと再確認させられる。
ドラムだけでなく、みんな暴れているのにうまい。バンドの化学反応は抜群だ。

わたしは彼らと2,3歳違いだが、あの身軽さと確信犯目線と自信はやはり違うと思う。
それは、世代価値観の違いと言い切れはしないが、
でもそうだと思っている。

9mmのライブの様子。いや〜楽しいし気持ちがいい)