2.10.2009

遠い異国の地で。


こんなに考えさせられる旅は、はじめてだった。

昨年の秋、南アフリカを訪れた。
アフリカ大陸最南端の街・ケープタウンへ降り立ち、
いきなり税関で止められ、
これが噂の賄賂要求?という歓迎を受け、
肌を刺すような太陽の日差しを浴びた。




南ア在住歴15年の女の子ロビンさんが、
ぐいぐいとマニュアル車で(オートマは面白くないとのこと)
今回の目的地・エルギン地区まで連れていってくれた。
まだ若いブドウ畑が果てしなく広がる美しい風景。
そこで迎えてくれたのは、スーザン一家。
彼女たちの家に、数日だけホームステイさせてもらう旅となった。

南アにはつい15年前まで、アパルトヘイトがあった。
人種差別をしますよ、と政府が宣言していたのだ。
映画『アマンドラ!希望の歌』を数年前に観るまで、
本当に恥ずかしながら、わたしはアパルトヘイトの事実を知らなかった。
学校でもちろん習ったのだろうが、地理歴史の授業は昼寝の時間だった。
きっとわたしの脳には遠い昔の悲劇の歴史としてインプットされたのだろう。

エルギン地区の人々は、アパルトヘイトで虐げられていたカラード(混血)だ。
彼らの現状は、今の生活を脱してもっと良くしたいけれど、
その術を自ら掴む方法が見当たらず、家族のために今ある仕事をこなしている感じ。
自分たちが置かれた状況や運命ゆえ、
上流階級や先進国の人間が何かしてくれるのを待ってしまう人も多い。

あるコミュニティで質素ながら綺麗に整頓された家に暮らす家族が、
快く家の中へ招いてくれたときのこと。
その家の娘は30代で14歳の息子がいて(シングルマザー率高し)
両親と暮らしていた。
突然の客にも「ファンタとコーラ、どっちがいい?」と言い、
写真を撮らせてとお願いすると、快く応じてくれた。
綺麗な赤いバラが咲くこじんまりとした庭、
2匹の大きな犬と3匹の猫、そして仲の良い家族との暮らし。
賃金に満足はしていないにしろ、家の様子から荒んだ暮らしではなかった。
しかし、彼女がわたしと二人きりになったとき、こう言った。
「お願いがあるの。あなたのいらない服やバッグを、わたしに送ってほしいの」
わたしは、困惑してしまった。途上国に慣れていないせいもあるが、
正直何て答えていいのか、分からなかったのだ。
もちろん、作業的にはできる。いらない服はある。
でも、ほいほいと寄付していいのだろうか。しかも、個人的に。
答えに詰まっていると、戻ってきたロビンさんが状況を把握してピシャッと言った。
「それはできないよ。あなたにだけ送ることはできないし、
もしそれが本当に必要ならここのコミュニティを通すから」
蜜の味を知ってしまうと、南アの人々はいつまで経っても自立できない。
ロビンさんは、かねてからそう言っていた。
その意味がよく分かったし、先進国のわたしがすべきことの意義が少し理解できた。
それは、巷によくある援助やチャリティーに通じること。
チャリティーに疎い日本は特に、それに参加するだけで満足してしまう。
(数年前の日本でのLIVE8なんかは、特にそうだ)
でも、彼らとの関係の築き方の本質は、そこではないはず。
人 対 人。お互いに甘んじたり施しではなく、
対等な関係が本当は築けるはず。一方的では、ダメなのだ。

一方で、スーザン自身はとても意識の高い人で、家族が自立して
生活する術を身につけようと努力していた。
ほとんどの人がアフリカーンス語訛りの英語を話す中、
スーザンやスーザンの子供たちは完璧な英語を話す。
スーザン一家は、明らかに目の輝きが違っていて、魅力的だった。
14歳の次女シャーノンは、とてもクレバーで優しいコ。
将来はどうしたい?と聞くと、少し照れながらも
「パパのようにワイナリーで働くか、医者になりたい」と
しっかり答えたとき、
彼女は未来そのものなんだ、と感じた。
そう感じられたことで、ここがキラキラとした異国の地になった。




万国共通なのは、猫のこの眼。
「あら、お客?ふーん…
ま、ゆっくりしていけば?」とでも
言っているような。
たまらなく、いい。






(今回の取材旅行は、UR STYLEの特集記事にて
どこかで配布しています)