12.25.2008

Paris,Je t'aime.



温かいようでいて冷たい。
でも、ホントは温かい。

パリって、そんな街。
だから、何度でも行きたくなる。
恋焦がれてしまう。





そんな気分になったときには「パリ、ジュテーム」を観る。
5分間の18の物語。
18人の監督が描く、18のパリの顔。
どれも、普段着のままのパリ。

路上駐車のスペースを確保するためにグルグルと何周もする
18区モンマルトルでのある風景。
見上げるとそこにあるのはエッフェル塔…ではなく
モスクな5区で起きた、若いふたりの出逢い。
実は人種のるつぼであるこの街で
移民が抱く孤独感や厳しい現状を窺わせる、
ブルジョア16区へ郊外から働きに出る
ある移民女性の毎朝の日常。
夜の街に浮かび上がるパンテオンを望む
6区カルチェラタンのとあるカフェには
お互いの近況を報告し合いながら
翌日の離婚調停の時間を確認する熟年夫婦。

わたしのベストストーリーは、
大好きな4区マレ地区を舞台に
大好きなガス・ヴァン・サント監督が手掛けた物語。
おしゃれな街=ゲイの多い街であるマレの印刷所で
めちゃくちゃ美しい男子が
これまためちゃくちゃ美しい男子と出逢う。
ガス・ヴァン・サントらしく、押しつけがなく静かで含みがある。
やはりこの監督の目線は素晴らしい。
空気観を映すとは、こういうことなのだ。

パリへは数回しか行っていない。
滞在期間は足しても2週間足らず。
だから、パリのことを深くは語れない。
でも、恋焦がれて忘れられない街。
一人で初めてパリへ訪れたとき、
徹底した個人主義のこの国の温度が心地よかった。
わたしはわたし、あなたはあなた。
だからあなたはあなたの方法で自信を持っていきなさい。
そう、街が語り掛けているような。
年齢や性別は関係なく、
ひとりの大人の人間として扱われているような。
逆を言えば、自分をしっかり持つことが強いられる街。
何でも受け身で平和ボケしている日本とは正反対だ。
自分の希望は自分から動いて勝ち取るべき。
さすが、レボリューションの国。
だから、フランスではストが頻繁に起きる。
でもそれに対して、本来はラテン気質な人々なのに大人しく納得する。
呆れたとしても、主張があるのだからしょうがない、と。
そして自分なりの方法で対処する。
もし、日本でストが起きたら、どうなるのだろう。
きっと人々は怒るだろう。
そして、その怒りをブツブツと、ある人は爆発的に他人へぶつけるだろう。
でも、その怒りは主張とは言わない。
そういう場合に怒らないでいられる心の広さがあればいいが、
湧いてしまった怒りを制御できる紳士淑女さがあればいい。

はたして、それが日本にあるかどうか。
……答えは考えたくない。

フランスネタで、もうひとつの作品を。
TVドラマ「ヴィーナス&アポロ」はエステで働く4人の女性を描いたコメディ。
おいおい営業中なのに向かいのカフェで酒飲んでるし、と
突っ込みどころ満載のこのドラマ。
皆が皆、自分中心のライフスタイル。
でも、とっても気持ちがいい。
なぜなら、誰もが幸せな人生を追い求めているから。
「パリ、ジュテーム」もそう。
シリアスな物語も中にはあるが、基本的にどこかコミカルなのだ。
“人生に乾杯!”と言ってしまいたくなるような。
そして同時に、
“ユーモアのある人生を!”

だから、想う。
Paris , Je t'aime.

12.22.2008

親からもらった、たからもの。




←この写真、ノスタルジックで素敵すぎる!
と思いずっと持っていたが、
このコ、わたしではなく、姉でした。



よしもとばななの最新作本、
『彼女について』。
物語についても、ハッとするような展開だったが、
今作は言葉がとても印象的で、ウォータープルーフ効果ゼロ。
でも、哀しい涙ではなくて、深く温かい涙。
そういうときって、涙の温度も温かい。

わたしには子供がいないし、産む予定も今のところない。
ここ数年、友達や事務所のスタッフがママやパパになっている。
そしてなぜか、ベビーシッターという白羽の矢がこちらへ飛んでくる。
自分では、子供の相手は苦手と思い込んでいたが、
言葉が話せなくても、自分の足で歩くのがやっとでも、
子供は産まれたときから立派な一人の人間で、
赤ちゃんは本当に敏感な感覚の持ち主なのだ。
向こうはこちらのちょっとした感情のブレを読み取ってしまう。
それならこちらも、正々堂々向き会いましょう。
とは言え、愛情を溢れ出して、見守っているだけでいいのだ。
まぁ、責任がないからこんなことを言えるのだけれど…。

「子供は未来」
というフレーズは巷に溢れているし、真新しくもない。
でも、『彼女について』で、
“生きているだけでだれかの夢そのもの”
という言葉にぶちあたったとき、その言葉の持つ意味が
ストンとわたしの中に落ちてきた。
あぁ、そうだよね、そうだったよね、
それは親と子供の間柄で持ち得る特権なんだよね、と。

日本人の特質として、愛情を言葉で常日頃表現することは希なこと。
家族から愛されていることは分かっている。
言われなくても。
でも、確かな言葉として、その人だからこその言葉で欲しいときもある。
それに、そういう言葉は、一生たからものとして残っていくのだから。

わたしにも、そういうたからものがある。
「お母さん、あなたのためなら死ねるのよ」
普段は柔らかくて楽しい人が、普段の口調でさらりと放った言葉。
あの小さな身体の奥底に、マグマみたいな感情が眠っているような。
このたからものに、とてつもなく救われた。

わたしが男子だったら、
確実にマザコンだっただろうと思う、今日この頃。


『彼女について』よしもとばなな/発行・文藝春秋

12.16.2008

生きていたら…とは考えないでおこう。

今年一番欲した曲は、
The Killersの「Shadowplay」だと思いあたる。

いたくて、せつなくて、どうしようもなくなるような。
踊るしかない、ような。


この曲を聴いたのは、
写真家アートン・コービンの初監督映画
CONTROL』でだった。
この映画は、77年頃イギリス
マンチェスターから登場した
ポストパンクバンドJoy Divisionの
ボーカル、イアン・カーティスの
バイオグラフィー的映画。
本編だけでなく、写真集がこれまたグッとくる。
The Killersは、Joy Divisionの名曲をカヴァーした。
この映画のために。PVも、美しい。

もし明日すぐ宇宙に行けたとしても、
ドラえもんが我が家にやって来たとしても、
イアンが23歳の若さで自ら逝ってしまった事実は変わらない。

飾り気のないクールな佇まいが、
ステージに上がるとロックに取り憑かれたパフォーマーとなる。
神経質っぽい目つきで、走り出したい衝動のような身振りで
今にも壊れてしまいそうで。
まるで、長い長い暗いトンネルを、
かすかに見える出口の光に向かって果てしなく走るような、
そんな音楽。
ピュアな人間だけが見せられる、心に潜む陰鬱さ。

巷では原曲の価値をも消してしまうカヴァー曲が溢れているなか、
The Killersは、Joy Divisionをよく理解しているのだと思う。
純粋さと感情の高ぶり、人の気持ちを掻き立てる音楽。
「Shadowplay」は、その全部がちゃんとある。
感情のひだを、強く揺らして去っていく。

『CONTROL』でイアンを演じたサム・ライリーは、
イアンが乗り移ったかのようだった。
といっても、イアンが逝って1ヶ月後に生まれたわたしが
動くイアンを知っているのは、もっぱらYou Tubeのお陰。
You Tubeさまさまな、現代生活。

上映後、からっぽな抜け殻になってしまって
渋谷のハンズ前の坂道で見事にコケた。

まだ、膝の傷は消えない。

12.13.2008

情景を、えがく。

あなたはなぜ、読書が好きなのですか?
そう問われたら、なんて答えるだろう。
わたしの場合は、
「頭の中いっぱいに本の中の世界が広がって、その世界へ旅できるから」
とまずは答える。

『アフリカの日々』という本がある。
この話を読んでいた日々は、読むことが本当に待ち遠しかった。
なぜって、本を開いた瞬間から、アフリカのサファリへ旅できるから。
毎朝の都バス通勤は、サファリパークへの旅。
「うかつに顔や手を出しますと、ライオンのエサとなり危険です。」
わたしの耳に届くのは、そんなバスのアナウンス。

作者のディネセンは、デンマーク生まれで、
1914年に現ケニアの土地でコーヒー農園をはじめた女性。
『アフリカの日々』は、物語のようでいて、彼女自身のアフリカでの日々の綴りだ。
彼女は、とても愛情深い人だと思う。それは、言葉の節々でそう感じる。
たとえば、キユク族の人々のことをこう表する。

 白人はほとんどの人たちが不測の事態や運命の打撃にそなえて
 安全を確保しようとするが、キユク族はちがう。
 黒人は運命に親しみ、常に運命の手にみずからをゆだねる。
                  (『アフリカの日々』より抜粋)

原住民に対して、愛情と尊敬の念を日頃から抱いていたことが窺える言葉。
そして、彼女のハイライトは、情景の描写の素晴らしさにつきると思う。
作家・池澤夏樹氏は、この本の描写について、キリンが登場するくだりを
すばらしいと評していたが、
同様にわたしは象の描写にクラッときてしまった。

 象たちは、世界の果てに約束があるといった様子で、
 ゆっくりと、決然たる歩調で進んでいった。
                  (『アフリカの日々』より抜粋)
 
こんな情景を、えがけるなんて。
ケニアへの旅路が、この本を開けば、見えてくる。



『アフリカの日々』イサク・ディネセン/横山貞子・訳/河出書房新社
池澤夏樹 編集による世界文学全集シリーズ

12.11.2008

Mauiの風に吹かれて。

かなわないなぁ。

それが、マウイ島にいる間、ずーっと心の片隅で
つぶやいていた言葉だった。
この場合、‘叶わない’じゃないです。
‘敵わない’です。

たった4泊、短い短いマウイ島。
そんな時間で、マウイがすべての表情を見せてくれたとは思わない。
でも、旅立つ前の約半月、頭と身体をフル稼働させて
確実に(若)白髪が増えたであろうわたしを、
とても深く温かく受け止めてくれたことは確かなコト。

今回の旅では、カフルイのとある部屋に滞在。
広い庭を通り抜けると、人口の気配がまったくない海が出迎えてくれた。
波は少し荒く、風も強くて、都会に暮らす弱小者のわたしは
対等な相手にはなれない。
だけど、「よく来たね」と言っている気がする。
本来の自然の姿で向かい合ってくれることが、とても嬉しかった。

ハワイとわたしの関係は、まだまだ浅い。
それでも、ハワイの辿ってきた運命には心奪われる。
以前、ハワイ島へ訪れて、人生観が変わった。
本当に些細なことだけれど、心の在り方を教えられた。
ハワイ島の話は、いつかまた書くことができたらいいなと思う。

パイアという可愛らしい街がある。
昔、サーファーやヒッピー達が創った街。
10分も歩けば端と端のお店に辿り着けてしまうサイズ感。
お店に入るときも去るときも、みんな心からの対応をする。
厳しい表情をしたり下を向いて歩く人はだれもいない。
大好きな街が、またひとつ増えた。

数年前、マウイ島民とメインランドからの移住者の人口が並んだという。
そうなると、土地や家、物価が高くなる。
でも、仕事はそう増えないし給料がグンと上がることもない。
そうだとしても、この地に移住したいと願う気持ちはよく分かる。
ここには、かなわないなぁと思わせる力があるから。
ありのままの自然にも、チャーミングで大らかな人達にも。
人って、自分よりも強くて優しい、かなわないモノに出逢うと、
いつだって謙遜でいることができる。
そうすると、自分の中の優しさが、のびのびしてくる。

とは言え、本当は、東京にいたってどこにいたって、
Alohaな心を忘れずにいられるはずだ。心の向き方ひとつで。

…でも、本心は、今すぐマウイに逢いにいきたい。