12.22.2008

親からもらった、たからもの。




←この写真、ノスタルジックで素敵すぎる!
と思いずっと持っていたが、
このコ、わたしではなく、姉でした。



よしもとばななの最新作本、
『彼女について』。
物語についても、ハッとするような展開だったが、
今作は言葉がとても印象的で、ウォータープルーフ効果ゼロ。
でも、哀しい涙ではなくて、深く温かい涙。
そういうときって、涙の温度も温かい。

わたしには子供がいないし、産む予定も今のところない。
ここ数年、友達や事務所のスタッフがママやパパになっている。
そしてなぜか、ベビーシッターという白羽の矢がこちらへ飛んでくる。
自分では、子供の相手は苦手と思い込んでいたが、
言葉が話せなくても、自分の足で歩くのがやっとでも、
子供は産まれたときから立派な一人の人間で、
赤ちゃんは本当に敏感な感覚の持ち主なのだ。
向こうはこちらのちょっとした感情のブレを読み取ってしまう。
それならこちらも、正々堂々向き会いましょう。
とは言え、愛情を溢れ出して、見守っているだけでいいのだ。
まぁ、責任がないからこんなことを言えるのだけれど…。

「子供は未来」
というフレーズは巷に溢れているし、真新しくもない。
でも、『彼女について』で、
“生きているだけでだれかの夢そのもの”
という言葉にぶちあたったとき、その言葉の持つ意味が
ストンとわたしの中に落ちてきた。
あぁ、そうだよね、そうだったよね、
それは親と子供の間柄で持ち得る特権なんだよね、と。

日本人の特質として、愛情を言葉で常日頃表現することは希なこと。
家族から愛されていることは分かっている。
言われなくても。
でも、確かな言葉として、その人だからこその言葉で欲しいときもある。
それに、そういう言葉は、一生たからものとして残っていくのだから。

わたしにも、そういうたからものがある。
「お母さん、あなたのためなら死ねるのよ」
普段は柔らかくて楽しい人が、普段の口調でさらりと放った言葉。
あの小さな身体の奥底に、マグマみたいな感情が眠っているような。
このたからものに、とてつもなく救われた。

わたしが男子だったら、
確実にマザコンだっただろうと思う、今日この頃。


『彼女について』よしもとばなな/発行・文藝春秋