6.12.2009

愛しいまちに。

年にいちど、日本全国30箇所を巡る仕事がある。
会社のスタッフや信頼するライターと振り分けるが、
結局7〜8箇所飛ばされることになる。
毎年のことだ。

今年で4回目となるこの仕事。
地方のまちが、都市部の人々へ観光の先にある
体験や定住を促進させるための取り組みを取材して
一冊の冊子にまとめるお仕事。
ようは、日本の”田舎”を巡る旅記録。
(ぜんぜん違う!とスタッフから言われそうだが)
取材の準備と宿泊の準備をしているうちに、
気分はひとり旅の気分(ほんとにひとり)。
さすがに4年目ともなると、必要なものはすぐ頭に浮かぶ。
大切なのは、旅のお供となる本とドライブ時のBGM選出。
これを失敗すると、とんでもない旅になる。
そんなこんなで、先週は第一弾の四国を巡った。

わたしたちは誰もが、生まれてくるまちを選べない。
でも、自分の暮らすまちは選ぶことができる。
だからわたしは、自分の意志で地元のまちを離れた。
それは、地元のまちで暮らす自分がイメージできないからだ。
20年近くも生まれ育ったまちなのに、大好きな家族がいるのに、
そこに暮らす自分をどうしてもイメージできないのだ。

日本全国の田舎を巡っていると、
あぁここは面白いまちだな、動きがあるまちだな、
息が吹き込まれているまちだな、個性がのばされているまちだな、と
なんとなく理解できるようになる。
もちろんそこにある自然の力も大きいが、
なによりそこに暮らす人の存在が、とても大きい。
自分がここに暮らしているのはこのまちを愛しているからだ、と
言い切れる人がいるまちには、愛されている輝きがある。
人間や動物と同じで、まちだって愛されていればちゃんと輝くのだ。
まちは勝手につくられるものではない。
そこに暮らす人によってつくられる。
だから、相思相愛のまちに暮らしたいと思う。

日本の田舎は、どんどん朽ちていくまちと、
新しいまちのカタチを作りはじめているまちの
どちらかだ。
周りのまちとのレベルの低い背比べをするのではなく、
自分のまちを愛する人の愛おしい想いがカタチになるとき、
のびのびとした個性豊かなまちになるのだろう。
そんなまちが増えていったら、
きっと愉しい。

(暮らしてはいないけれど、大好きなまち・下北にある、大好きな場所より)