心のゆとりの幅が狭まっているなぁ…。
怒濤のような日々を過ごしていた6月。
わたしの心にぽっと灯りをともしてくれたのは、狂言だった。
年に一度、わたしはこの贅沢に浸る。
人間国宝である野村万作と、息子であり現在未来の狂言会を担う野村萬斎。
日本の伝統芸能について語れるほど知識はまったくないが、
この二人の存在がどれだけ大きいかは、舞台を見れば分かる。
この日は、世田谷パブリックシアターでの『狂言劇場 その六』が行われた。
2ヶ月前から予約をして、実は予約していたことをすっかり忘れ、
数日前に手帳を見て思い出した有様だったが、
どんなに時間がなくても、気も体力も奪われていても、
狂言の舞台はわたしを大いに救ってくれた。
この日のプログラムは、狂言と能の2部構成ではなく、
狂言と能楽囃子の構成だったため、能が苦手なわたしでも
完璧に楽しめるプログラムだった。
まずは、万作と二人の大名のみで物語が進む『二人大名』。
狂言の舞台は、飾りがなく、衣装も着物なくらいで歌舞伎のような装飾はない。
そしてほとんどが少人数で構成される。
シンプルで分かりやすい分、ごまかしが効かない。
装飾のない自分の姿で、その役を体現するのだ。
裸で舞台にいるようなものかもしれない。
万作は、舞台に出てくるだけで、空気が変わる。
フラダンサーが踊り出すと、その人の周りの空気が動き出すのと同じ。
温かみがあって、含みがあって、常にユーモアで満たされているような空気。
観客は、安心して大いに笑いを捉える体制でいられる。
そして、その期待は決して裏切られることはなく、声を出して思いっきり笑える。
この日は、万作・萬斎親子の共演はなかったが、
萬斎もやはりそこにいるだけでオーラがプンプン出ている。
凛としているのは親もそうだが、もっとシニカルで厳しさがあってニヒルな感じ。
実際、舞台でもメリハリがすごい。
伝統芸能というより、現代劇のお芝居を見ているのかと錯覚してしまうほど。
そして、一旦笑いのゾーンに突入してしまえば、
もう顔が戻らなくなる。
人を笑わせるのは、難しい。
はるか昔に書かれた脚本ももちろん素晴らしいが、
狂言という伝統を心身でしかと受け継ぎ、
その上で笑いを追求し表現する。
これぞ、ザ・エンターテインメントというべきだろう。
狂言の世界に浸り、荒み気味で疲れていたわたしの心は、
気付けばハッピーで満たされていた。
上質な笑いは、心を満たす。幸せ色に。