時代は、変わる。
欲しいものは、PCに向かえばひょいと手に入るし、
地球の裏側にいる友達には会いたいとき顔が見れる。
雑誌や新聞の役割は、PCをONにすれば済む。
もちろん否定はしないし、便利になってなにより。
その波は、音楽業界にもモロにきている。
いいのか悪いのか…白黒ハッキリつけることはできないけれど、
音楽を愛するひとりとして日々想うことはある。
先日の引っ越しの際、わたしは思い立った。
CDのハードケースを全部捨てたのだ。
あのプラスティックのケースを解体して、裏ジャケットを外し、
一枚一枚CDと一緒にソフトケースに入れて、最後にブックレットを収める。
その作業に、貴重な週末が見事に潰れてしまった。
側で見ていると、「永遠に終わらなさそう」だったらしい。
というのも、どうしても懐かしいCDたちを見ると聴きたくなるし、
ジャケット含めブックレットを眺めてしまうのだ。
あぁこのバンドの最期のシェルターライブ、
写真より実物のがカッコよかったしグッときたなぁ。
あれ、あのバンドの前身バンドがこのコンピに入ってたんだ。
マイケル…(片付けていた時はまだ生前だった)黒!そしてかわいい!
生まれて初めてのジャケ買いは、この姉妹のだったな。
2度目のジャケ買いは、TEI TOWAだと知らずに買ったDEE-LITEだった。
ACID JAZZ SAXプレーヤーのキレイなお姉さんのCDは
ブックレットが凝っていて、美術の課題でパクらせてもらったんだ。
THE WHITE STRIPSのファーストのジャケのメグ(Dr.)に
あたし似てるって言われたな…。
一枚のCDを手にすると、それを買ったときの背景、時代、景色が
一瞬で蘇る。曲を聴いているだけじゃ、ここまでならない。
CDを手にしてお金を払い、帰ってからブックレットの隅々まで見て
ジャケ写をじっと見つめる。
そうすると、このアーティストが表現したいことや
この音楽の深い部分が見えてきたりするのだ。
音楽に夢中になり始めた頃はそんなことまで考えていなかったけれど、
表現することが本職のアーティストにとっては、
ジャケットやCD本体すべて含めて作品なはずだ。
だからこそ、ダウンロードで音楽を聴くと、どこか哀しい気分になる。
未完成な感じ。アーティストとの距離が遠いまま。
その音楽とちゃんと向き合って聴くというができない。
そんなことを思ってしまうのはわたしだけならいいのだけれど、
キッズや若い世代にとってこの手軽さがあたり前になっていると思うと
かなり寂しいなと思ってしまう。
先日、レコード会社の宣伝マンと話をしていたとき。
「今若いコはCD自体を"マスタ−"って呼ぶらしい」
衝撃だった。
そりゃもちろん、わたしも本盤からMDにおとしたり、CDに焼いたりしたし、
今はiTunesにコピーする。
iPodがないと生きていけないと、本気で思う。
でも、CDの価値は知っているつもりだ。
それが、音楽の価値にもある部分繋がると思っている。
音楽のカタチは変わっても、音楽の価値は不変なはずだ。
でも最近は、アーティスト側が無料ダウンロードとかをやってしまう。
それは、どうなのだろう。
プロが、自分の職をタダで売り出す。
ボランティアとは、訳が違うのだから…。
でもそうすれば、より多くの人が聴いてみようと思うのも事実。
音楽は、ビジネス。
でもアーティストにとっては、表現。
繋がるようで、その溝はなかなか深くて埋めるのは難しい。
聴き手であるオーディエンスにも、その意識が広まれば、
また音楽のカタチが変わってくるのかもしれない。
新居にて。
約750枚のCDがこんな
コンパクトに。
CDは捨てられないし売れない、
わたしのたからもの。