3.31.2009

short trip.

caravanの音楽は、なんだって旅人の心をくすぐる。
今すぐ旅にでよう、と思い立ってしまう。
とはいえ、海の広がる自然の情景だけでなく、
ビルの夜景がきらきらと輝く都会の景色も似合うから不思議だ。

3月28日土曜日。
お台場を抜け東雲から新木場に近づくと、東京湾と新しいマンション群が
車窓に広がる。
夕焼けが映る湾は光りながらゆったりと波をうつ。
新木場までの、ショートトリップ。
caravanのライブは、新木場スタジオコーストがいい。
晴れた野音もいいけれど、川を超えてゆっくり歩く駅からコーストまでの
たった5分の道のりは、
どこか切なくて哀愁が漂っていて気分を盛り上げてくれるから。

この日のライブは、今まで何度も見たcaravanのライブの中で
群を抜いて素晴らしかった。
バンドメンバーは、Curly Giraffeこと高桑圭、白根賢一が参加。
GREAT3のこの二人が多くのミュージシャンに愛されているのは、
キャリアが長いゆえの安定したパフォーマンスだけじゃない。
ヘタするとボーカリストよりも存在感がある。
Curly Giraffe好きなわたしにとって、彼がコーラスなんて贅沢なライブだ。
そしてcaravanは、今まで以上にハリがあって太くて優しい声をしていた。
バンドメンバー全員のグルーヴがちゃんと際立っていて、
それが衝突して認め合ってできるバンド音。
男臭くもあり、セクシーでもあり、
とろけてしまいそうなくらいだった。

caravanは、デニムブランドのモデルと言っていいくらいのルックス。
この日も、カッコいい兄貴、という雰囲気で
オーディエンスと普通に会話を楽しむアットホームなステージだった。
普通だったら気恥ずかしくなるようなことでも、
彼が口にすると青臭さがなくなるのだ。
“Life is Beautiful“なんて、本当だったら口にするのは恥ずかしい。
でも、彼の歌に乗るとその言葉がとても大切な言葉としてストンと
落ちてくる。
それは、彼のルックスと、旅人特有の自由で大らかなオーラゆえだろう。

GENERATION TIMES』で取材させてもらった際、
「今は海の近くに住んでいるけれど、都会も大好き。
もしかしたら六本木ヒルズに住みたいなって思う日がくるかもしれない」
と笑いながら言っていたことが強く残っている。
取材前にポラを渡し、「日常で美しいと思う瞬間」を収めてもらった。
その視線は、背伸びすることはしない、等身の彼の眼だった。
今立っている路上、子供たちの野球バッド、道端の花、少し雲がかかった空…。
東京の大都会にいるから、美しいものの本質が見えにくいのではない。
場所のせいにしてはいけない。
そう、教えられたような気がした。

それにしても、実際のcaravanはイメージそのままで、
すばらしくカッコいい人だった。
人との程良い距離感を瞬時に保てる人で、
そこにいるだけで気持ちの良い空気が流れるような人。
ライブも、空間がその空気で満たされる。
今年は夏の太陽の下、野外で聴きたい。もちろんビール片手に。

ジャケット写真:album「Yellow Morning」(リズムゾーン)

3.25.2009

LOVE THIS TOWM.


昨夜から、ポール・オースターの新刊を読み出している。
オースターの作品は、なぜか眠りにつく前、
ベッドに埋もれながら読みたくなるのだ。
オースターは、NY・Brooklynに暮らす作家。
彼の作品のほとんどに、Brooklynの空気が流れている。
だから、オースターの物語に浸るたびに、
大好きなBrooklynの光景が目の前に広がる。

わたしが初めてBrooklynを訪れたのは、5年程前。
それまでマンハッタンには何度か滞在したが、
Brooklynは治安の悪い住宅地という先入観が先に立ち足が向かなかった。
でも、すべてが観光地化またはブルジョア化しているマンハッタンに
少し距離を感じたとき、Brooklynへと意識が向いた。
そうして、わたしのBrooklyn通いがはじまった。

Brooklynといえど、広い。
アートな街DUMBOをはじめ、
イタリアやロシアからの移民コミュニティもある。
マンハッタンの時価高騰で住めなくなったアーティストや若者が
こぞってBrooklynにやって来た。
Williamsburgは、やって来た若者によって創られた街。
わたしは、この街が本当に大好きだ。














マンハッタンからLラインのサブウェイに乗ること、約15分。
Bedford Av.で降り、地下から地上に上がると、
ここはNYですか?というくらい、空気が違う。
空が広い。
高い建物はなく、レンガ造りの年月の経った建物がシンと並んでいる。
Avenueには、肩肘張らずがんばっていないのにオシャレなオーラで
包まれている若者たちが行き交う。
犬の散歩をしている女の子、建物の入り口階段に座っている男の子たち、
どこからかもらってきたのかテーブルを運んでいるカップル、
混み合う古着屋(ここは安くてたくさんあって楽しい!)の前で
タバコを吸いながら通りかかった友達と挨拶を交わす休憩中の店員…。
だれもが個性的で自分のペースを持っている感じ。
だからアジア人のわたしがひとりでいてもまったく浮かないし、
心地がいい。
異国の地にひとりでいても、ここに来ると、ふっと力が抜ける。
マンハッタンがマノロ・ブラニクのハイヒールなら、
ここはコンバースかバレエシューズかビーチサンダル。
HIP HOPやクラブミュージックがマンハッタン、
Vampire Weekendみたいなユルユルのロックがここ。














昨年の秋に訪れたとき、明らかに人が増えていて驚いた。
友達曰く、「ここ最近、急に人が増えたよ」とのこと。
お店の数も増え、治安が良くなった印象だ。
初めて訪れたとき、真っ昼間なのに少し身構えたのを思い出した。
AvenueからStreetへ曲がると、前にも後ろにもだれもいない、
左前方の角にはグラフィティだらけの荒廃した工場跡、
スニーカーがぶら下がった電線(ドラッグディーラーがいる印)が頭上に。
あーNYだなぁと感慨深く思ったものだ。
それでも、この街の空気がすっと馴染んだ。
身体が、「ここがいい。ここが好き」と言っている感じだった。

残念ながら、今の東京に同じ空気を感じられる場所はない。
わたしが学生だった頃の下北や中目黒が近い感じ。
今はどちらの街も人が入り交じり、開発が進み、面影は消えてしまった。
だからこそ余計に、Williamsburgを愛おしく思うのかもしれない。

3.17.2009

最悪の日常を、愛するために。by「生命線」

感情のある人間だったら、躁鬱はぜったいある。
その程度の差はあるけれど。
気持ちが落ちてしまったとき、どうしているだろう。
笑える映画や舞台を見る人もいるだろう。
友達と会って話をして騒いでさっぱりする人もいるかもしれない。

わたしは、THE BACK HORNを聴く。
落ちかけた気分を、もっと曝け出して落としてみる。
閉じこめていた感情を、えぐり出す。
そして、気付いたら光が見えている、という荒対処法だ。
個人的に日本で一番のフェイバリットバンドが、THE BACK HORN。
彼らより1つ2つ年下のわたしは、
これまで彼らの音楽とライブにどれだけ救われたことだろう。

気持ちの置き所がよく分からなくて意味もなくイラついて、
存在価値を全身で分かりたいのに掴めなくて、
もがくしかない日常。生と死は、紙一重。生きるしかない。
汚れた地を這ってでも、生きてやる。
社会不適合者だろうと、不器用なら不器用なりに、生きてやる。

彼らからは、その儚さと強さが漂っていた。
繊細でピュアな心の内は、
激しいロックを支える美しいメロディから十分に伝わってくる。
闇の先に光を見いだす言葉達は、痛くてもリアルに響く。
ライブでの、身体の奥底から叫びを絞り出す姿には
いつだって胸が締め付けられた。
吐き出す想いが真剣で重たいぶん、
受け取るこちらも正面から受け取らなければはじかれてしまう。
だから、表面だけを取り繕っていても
すぐに暴かれてしまうような。そんな、怖さと気持ち良さ。

とはいえ、メンバーもわたしも年月を重ね成長してきた。
今のTHE BACK HORNに、かつてわたしが求めた救いはない。
それは、10代後半から20代中盤だったからこそ感じられた、
この社会や世界への反抗と、アンニュイさを
自分で処理できるようになったからだろう。

それでも成長したとはいえ、
気分が落ちて最悪な日常を生きることにうんざりするときだってある。
でもその日常も含めて、否定せずに愛せればいい。
少し無愛想だけれど、そう思わせてくれるから
THE BACK HORNの音楽と存在はとても必要で大切。
インディー時代の荒削りの曲もストレートでいいけれど、
02年あたりからの「心臓オーケストラ」「イキルサイノウ」は
本当に名盤だと想う。
イントロを聴いただけで、この独特な世界へと連れ出される。
映画製作者から評価が高いのも、この世界観に引き込まれるからだろう。
映画『アカルイミライ』『ZOO』の主題歌は、切ない程ハマっていた。
紀里谷監督『CASSHERN』の挿入歌はイントロからやってくれた。

気付けば、メンバーは今年で30歳。
どんなロックを鳴らし続けてくれるのだろう。
彼らの感性に反応できる感受性を、失わずにいたい。


コバルトブルー」のPVはとてもこのバンドらしい。
途中画面から消えちゃうし。彼らのライブを思い出す。

3.06.2009

笑顔を絶やさずに。

今週、ふたつのハプニングがあった。
運が悪ければ、事故になるか、生活場所を奪われてしまうところだった。
どちらも大事には至らず、平穏な毎日に戻ることができている。

その最中で、わたしの心に平常心と笑顔を保たせてくれたのが、
舞台は、hawaii。
鮮やかな色の服に屈託ない笑顔が可愛いルーシーは、
父親の誕生日の当日、朝食を摂りに馴染みのカフェへ向かう。
そこでルーシーに一目惚れしたヘンリーは、彼女に声を掛ける。
翌日もここで、という約束をしたふたり。
そして翌日、ヘンリーはルーシーのテーブルに座るが、
ルーシーは「向こうへ行って」と知らない素振り。
彼女は、交通事故に遭って以来、前日のことを忘れてしまう
短期記憶喪失障害を抱えていた。
ルーシーの障害を知り、ヘンリーは毎日彼女に愛を告白し、
ふたりは毎日恋におち、毎日ファーストデートをする。

というのが、ざっとのあらすじだ。
脚本によくありがち話、先の読める展開だし、
いかにもこれはCGだっていう箇所も多々あるが、
この映画に惹かれたのは、
hawaiiの大らかさと優しさで満ちているところだ。
本当のhawaiiはもっと大雑把な印象が強いが、
それでも全体的にあの雄大な大地と、人々の優しさが溢れている。

ルーシーの父親と弟は、事故以降の1年間、
ルーシーと一緒に毎日父親の誕生日を祝い、
彼女に今日がいつなのかを悟らせないよう根回しをしている。
ルーシー本人に事故のことを認識させないのは、個人的に反対だが、
健気なまでの家族の心遣いが、じんわり染みてくる。
もちろん、ヘンリーも。
毎日彼女と恋に落ちるため、あの手この手を使って彼女の気を振り向かせる。
そこでキーなのが、やはりユーモア。
ユーモアですべてを乗り切ってきたかのようなヘンリー、
そしてそれに答えるルーシーの笑顔。

ルーシーを演じたのは、ドリュー・バリモア。
ドリューが、これまためちゃくちゃキュートなのだ。
肩肘張っていない、いかにもhawaiiのロコガールの顔つき。
本当はもっと日焼けして黒いのがロコだけれど、
そんなのはどうでもよくなるくらい、いつも笑顔がキラキラしている。
ヘンリー役のアダム・サンドラーも髪が短くてジャック・ジョンソンのよう。

きっと撮影時、スタッフもhawaiiの大地からパワーをもらっていたんだろうな。
そんな気が滲み出ている映画だ。

ルーシーのように、
いつでも、なにがあっても、どんなときも、
笑顔を絶やさずにいよう。
そう心に想った。



原題:50 First Dates
2004  USA