先日、ガス・ヴァン・サント監督の新作を観た。
その映画についてはここでは触れないが、
それ以来、わたしの頭の中にはガスの映画の欠片が散らばっている。
5年前、ガス監督作品『エレファント』を観たときのことは
強く覚えている。
ラストシーンを経て、クラシックピアノの音色に水のノイズが流れる
曇り空を背景にしたエンドロール。
スクリーンから空が消え会場に明かりが灯ってからもしばらくの間、
わたしは立つことができなかった。
あまりのショックに全身の力が抜け、大きな呼吸をくり返していた。
『エレファント』は、99年に起きた米コロラド州コロンバイン高校で起きた
銃乱射事件をモチーフにした映画。
とはいえ、登場する生徒の名前は演じている素人の俳優の名前だったりして
忠実になぞっているわけではない。
俳優はガスが地元でオーディションをした一般人のコたちがほとんど。
だから、彼らが校舎に居るだけで、もう時間は流れ出す。
写真が趣味のイーライは(彼は「パリ・ジュテーム」ガス監督短編に出演)
クラシックなカメラを首から下げて学校の周りを歩き、
カップルのポートフォリオを撮っている。
その後校舎の暗室へと向かい、丁寧に自らフィルム現像をして、
再度カメラを手に部屋を出る。
廊下ですれ違ったのは、黄色いTシャツを着たジョン。
挨拶をしジョンの写真を撮った後、イーライは図書室へと向かう―。
ジョンは、写真を撮られた後、外で待つアル中の父親の様子を見に行く。
そこで、両手一杯の荷物を持ち武装した二人の生徒とすれ違う。
ジョンは二人に声をかける。「どうしたんだ?」
二人は計画通り、落ち着いた様子で図書室へ入り、銃を構える。
そこには、資料を読むカメラを下げたイーライがいた。
彼は、銃を構える生徒へ向けていつもと同じ表情でシャッターを切った。
もう、自ら現像はできないけれど。
物語は、すべて淡々と進む。
カメラは生徒の少し後ろを追い、わたしたちは生徒と同じ風景を見る。
銃を向けられた生徒にとっても、銃を向けた生徒にとっても、
普段と変わらない、彼らの日常。
なにも特別なことはないけれど、10代だからこそ持ち得る
溢れんばかりの瑞々しさがある。だれにも、平等に。
それは、日常の中で美しく、繊細でとても脆い。
ピンと張った糸のよう。
ガスは、若者のその脆さを描くのが天才的にうまい。
うまいという言い方は適切ではないか。
詳細までを汲み取り、映像に活かすことができる人。
その繊細さとリアルさは、ガスの観察眼と洞察力ゆえだろう。
ガスは結論を示さない。
そこにあるのは、真実のみ。
言わば、問題は未解決のまま。特定の感情の押し売りは一切ない。
音楽でいえば、Radioheadもそうだ。
問題提起はするが、特定のメッセージや答えを表現しない。
必ずしも、答えは必要ない。
『エレファント』は、細部までよく計算されて作られている映画だ。
ある日常風景を幾通りもの切り口から描く。時にそれは交差する。
当たり前に流れる瑞々しい若者の日常のひとときを、
ガスは一歩下がって静かに見守る。
その視線が、痛くもあり心落ち着くものでもある。
美しくも脆い世界。わたしはまだ失っていないだろうか。